テラーノベル
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相談室のドアは、いつもより静かに閉まった。
日下部は、その音だけでなんとなく察した。
「……座れば」
「うん」
椅子に腰を下ろしても、相手はすぐに話し出さなかった。机の端を指でなぞっている。
「……大人になるの、怖くない?」
少し遅れて、日下部が顔を上げる。
「急だな」
「今、急に来た」
「そう」
それ以上は言わず、続きを待つ。
「さ、このまま時間が進んで、勝手に年だけ増えてさ。ちゃんとした人間になれてないのに、大人扱いされるのが」
「……うん」
「“自己責任”とか、“もう子どもじゃないんだから”とか言われる未来が、もう見えてて」
言葉にするうちに、相手の声が少しだけ荒くなる。
「今ですらこんななのに、逃げ場なくなる気がして」
日下部は一度、視線を落とした。
「大人って、完成形みたいに言われるよな」
「そう。ちゃんとしてて、割り切れてて、強くて」
「実際はバラバラだけどな」
「それでもさ」
相手は食い下がる。
「周りは進んでくじゃん。将来の話とか、夢とか、現実的な進路とか」
「置いてかれる感じ?」
「うん。しかも、自分から歩いてないのに」
日下部は少し考えてから、口を開いた。
「大人になるのが怖いってさ」
「うん」
「“変わらなきゃいけない”って思ってるからじゃないか」
「……変わるでしょ。普通」
「変わるけど、全部じゃない」
相手は眉を寄せる。
「何が残るの」
「怖がる感覚とか」
「最悪じゃん」
「最悪だな」
日下部は否定しなかった。
「でも、それ消えたら多分、無理してる」
沈黙が落ちる。
「……じゃあ、大人って何」
「知らない」
「即答?」
「即答」
相手は思わず笑いかけて、途中で止めた。
「相談してるのに」
「俺も高校生だし」
「それはそうだけど」
日下部は少し姿勢を直す。
「俺が思うのはさ」
「うん」
「大人になるって、“怖いまま選ぶ回数が増える”だけだと思う」
「……それ、救いある?」
「正直、あんまない」
「だよね」
「でも」
日下部は続けた。
「怖いって言える場所があるなら、まだマシ」
「言えなくなったら?」
「それは、ちょっと危ない」
相手は黙って頷いた。
「……今のままじゃダメかな」
「ダメって誰が決めた」
「世の中」
「雑だな」
日下部は小さく息を吐いた。
「完成してから大人になるわけじゃない」
「じゃあ」
「未完成のまま年取るだけ」
「……それ、怖いよ」
「怖いな」
同意するように、日下部は言った。
「でも、怖いって分かってるやつの方が、変な大人にはなりにくい」
「希望、薄いな」
「薄い」
それでも、相手の肩から少し力が抜けたのが分かった。
「……また来ていい?」
「来れば」
「大人の話、続き聞きたい」
「進展ないかもしれないぞ」
「それでもいい」
ドアが閉まる。
日下部は一人になってから、しばらく椅子に背中を預けた。
自分も同じことを、考えていないわけじゃない。
このまま大人になるのが怖い。
その感覚だけは、たぶん、置いていかれない。
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