テラーノベル
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裁判記録は、薄かった。
玲がファイルを閉じ、指先で表紙を軽く叩く。
「判決文、やっぱり短い」
「短い、というより」
澪は隣から覗き込み、言葉を選んだ。
「余分が削られすぎてる」
事実関係。
争点。
判断理由。
最低限は書かれている。
形式としては、何も間違っていない。
けれど――。
「通常、ここに補足が入る」
玲が一箇所を指す。
「被害者の供述の揺れとか、情状の検討とか」
「うん」
「でも、この判決文、そういう“揺らぎ”がない」
澪は静かに頷いた。
どこかで見た感覚だ。
これまでの事件。
すべて、説明が整いすぎていた。
真琴はソファに腰かけ、全体を見渡していた。
「裁判記録って、こんなに読みやすかったっけ?」
「読みやすいのが問題なんだよ」
燈が吐き捨てる。
「人が関わってりゃ、もっとグチャグチャになる」
燈は、資料を一枚引き抜いた。
「この事件、争ってるはずだろ。弁護側も検察も」
「ええ」
玲が答える。
「でも、その対立構造が、文章に残っていない」
意見があった痕跡はある。
だが、どれも均されている。
強い言葉は削られ、
感情を示す表現は、事実に置き換えられている。
「まるで」
澪がぽつりと言う。
「“説明用”に書き直したみたい」
その言葉に、空気がわずかに張りつめた。
事務スペースで、伊藤が資料をまとめていた。
背中越しに、会話は聞こえているはずだが、口は挟まない。
真琴が声をかける。
「伊藤さん。この裁判記録、どう思います?」
伊藤は手を止め、振り返った。
「そうだな……」
少し考える間。
それから、穏やかに言う。
「要点が整理されていて、理解しやすい判決文だと思う。
読む側にとっては、親切だな」
「……親切」
燈が眉をひそめる。
「裁判って、親切である必要ある?納得させる必要はあるだろ」
「ああ」
伊藤は頷いた。
「だからこそ、こういう形になることもある」
玲が、静かに問いを重ねる。
「伊藤さん。過去の事件と比べて、似ていませんか」
「似ている、とは?」
「整理の仕方です」
玲は言葉を崩さない。
「時系列、要点、説明の粒度」
伊藤は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
「……言われてみれば、共通点はあるな」
澪は、その間を見逃さなかった。
否定でも、驚きでもない。
ただの確認。
「偶然、ですか?」
澪が静かに聞く。
「資料の性質が似ていれば、そうなることもある」
伊藤は柔らかく答える。
「裁判記録というのは、元々、感情を排して書かれるものだから」
正論だった。
誰も反論できない。
けれど。
澪の中で、点が増えていく。
報道がない。
証言が揃う。
記録が短く、整いすぎている。
すべてが、
「残るには、これで十分」
と言わんばかりの形をしている。
夜が更ける。
澪は、過去の事件の年表を並べて見比べていた。
伊藤が作ったもの。
見やすく、無駄がない。
そして、どの事件にも同じ“余白”がある。
書かれていない部分。
触れられていない感情。
――共通点は、事件じゃない。
整理のされ方、そのものだ。
澪は、そっとファイルを閉じた。
まだ、名前は出せない。
まだ、断定もできない。
けれど、この事件は、
これまでのすべてと、同じ線の上にあった。
揃いすぎた整理は、
偶然では済まされなくなりつつあった。
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