テラーノベル
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朝の教室に入った瞬間、すべてが止まる。誰かがわざとらしく咳払いし、別の誰かが椅子を引く音を立てる。空席のはずの机の上には、今日もまた何かしらの「おもちゃ」が置かれていた。今日は――避妊具だった。中身が入っていて、わざとらしく封は開けられている。
「うわ、誰か使ったあとじゃね?」
「え、マジで?きったな」
笑い声。
遥は黙ってそれを紙ごと包み、鞄の奥へしまった。いつも通りだ。慣れた手つきで、感情を殺す。
黒板の前に立っている教師は何も言わない。むしろ笑っているようにも見えた。
授業中、教科書のページを開こうとした瞬間、隣の席の男子が小声で言った。
「おまえ、産まれてこなきゃよかったのにな。誰も得してねえし」
「……」
「てかさ、そういう使われ方しかされねえ顔してるよな。どう?俺の犬やる?せめて役に立てよ」
遥が何も返さないと、後ろの女子がチョークを拾って背中にぶつけてきた。
「無視?ほんとクズ。なに黙ってれば許されると思ってんの?」
前の席からも声が飛ぶ。
「教師に媚びてんの、キモ。被害者ぶるのやめてくんない?」
誰も笑っていない。なのに笑ってる空気だけが、教室中に渦巻いている。
昼休み。机の中身がすべて廊下にぶちまけられていた。プリント、ノート、水筒、弁当、筆箱、全部。
誰もそれに触れようとしない。まるで地雷か死体のように、それらは床に散乱している。
通りかかった男子が弁当を蹴り飛ばす。
「あー、腐ってそう。ゴミ以下」
女子たちはスマホを向けて撮影している。
「もう、ここにいないほうがいいんじゃね?遥」
「え、でもいてくれた方が笑えるよ。ね、次、スカート履かせて写真撮るのは?」
男子が軽く拳で遥の背を叩く。
「マジでやろーぜ。次の罰ゲーム。『遥に女装させて写真撮って、放課後投稿』」
「なんかもう、性別とかじゃないよね、あいつ。人間じゃない」
その場に教師が通りかかっても何も言わない。むしろ「おい、ちゃんと片付けろよ。廊下が汚れるだろ」と遥だけに声をかける。
午後の授業は保健体育だった。性教育の話になり、男子の一人がわざとらしく言った。
「先生、性暴力の加害者と被害者って、どうやって決まるんですか?」
「なあ、遥ってどうなん?されたこと、あんの?」
教室がざわめく。
「ねえ、女っぽいし、あるっしょ?」
「てか、お前みたいなやつ、されるためにいるよな?」
遥の手は机の下で震えていた。でも顔だけは、無表情を保つ。
だれかが、ノートの切れ端を回してくる。
《放課後、屋上で服脱げ。やらなきゃ、お前の家に送る写真増やすから》
黒板には、「性の多様性を尊重する社会」と書かれていた。
誰かが笑った。遥も笑ったふりをした。
終礼が終わる頃、後ろの席から鉛筆が飛んでくる。
横から椅子を蹴られる。
前の女子が言う。
「おまえってさ、死にたくなんないの?てかさ、死ねば?」
その瞬間、遥は初めて口を開いた。小さく、吐き捨てるように。
「……うるさいな。とっくに死んでんだよ、俺は」
誰もそれに答えなかった。
ただ、沈黙がひときわ深く、重く、冷たく広がった。
そのあと、何かが笑い出した。
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