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#現代ファンタジー
るるくらげ
翌朝の被害記録局は、夜明けを迎えた建物らしからぬ顔をしていた。窓から入る薄青い光はきれいなのに、机の上には血のついた証拠袋と、封蝋の欠片と、眠らないまま朝を跨いだ職員たちの渋い顔が並んでいる。ロビサは冷えた指先をこすり合わせ、昨夜まとめた一次記録の束を抱えて監査卓の前に立った。
モンシロは紙片の並びを確かめながら、短く言った。
「下町の地理に明るい者がいる」
「……いるでしょうね」
「昨夜の何でも屋だ」
嫌な予感が、きわめて正確に当たった。
局舎の扉が開き、昨夜の煤けた外套が朝の光を連れて入ってくる。ハディジャは寝ていないのか目の下に薄い影をつくっていたが、足取りだけは妙に軽い。入口脇で帳簿を抱えていたニッキーに一礼し、すぐにロビサを見つけた。
「おはよう、優等生さん」
「その呼び方はやめてくださいと昨夜申し上げました」
「朝になったから機嫌直ってるかと思った」
「直っていません」
「だろうな」
平然とした顔で言われると、返す言葉が少しだけずれる。ロビサはずれた気分のまま記録束を卓へ置いた。
モンシロが二人の間へ淡々と割って入る。
「臨時協力だ。手紙の紙質と封蝋の流れを追う。下町の盗品商と裏の運び手に口が利く者が必要だ」
「記録局にそんな人材はいないんですか」
「いるが、顔が割れている」
「この人は割れていないと?」
「割れていても、別の意味で諦められている」
班長にしては珍しく棘のある冗談だった。ハディジャが片眉を上げる。
「褒められてないのはわかった」
「褒めてはいない」
モンシロは即答した。
話がまとまってしまう気配に、ロビサはきっぱり言った。
「私は反対です。昨夜の時点でこの人の関与は否定されていません」
「俺だって好きで来たわけじゃない。あんたらがいつまでも封書の破片を抱いて唸ってるより、盗品商を二軒回ったほうが早いからだ」
「ずいぶん自信があるんですね」
「ある。あんたは下町を歩くと、五歩で『役所の人が来た』って顔される」
「それの何が悪いんです」
「悪くはない。ただ、口を閉ざされる」
言い返そうとして、口をつぐむ。悔しいが、そこだけは正しい。養成学院を出てから被害記録局へ入り、現場と役所を往復する生活で、ロビサの歩き方や話し方には、知らず知らずのうちにお役所じみた硬さが染みついていた。
レイノルデなら、こういうとき「正しいことと、役に立つことは時々ずれる」と言うだろう。思い浮かんだ教官の声に、ロビサは余計に機嫌が悪くなった。
結局、同行は決まった。
局舎を出ると、朝霧の残る通りには、昨夜の鬼害の噂がもう小さな群れになって漂っていた。パン屋の前では、焼き立ての香りに混じって「七日後にはあの奥さん、旦那の声を忘れるのかね」というささやきが走る。ロビサは歩幅を速めた。忘れられる前に記録する。その大切さを知っていても、他人の不安に無遠慮に踏み込む噂話は嫌いだった。
隣でハディジャが、何食わぬ顔で焼き立ての小さな丸パンを二つ買った。
「食うか」
「いりません」
「まだ何も口にしてない顔してる」
「顔で決めつけないでください」
「じゃあ腹の鳴る音で決める」
ちょうどそのとき、ロビサの腹が正直に鳴った。
自分でも驚くくらいきれいな間だった。パン屋の老婆が思わず吹き出し、ハディジャは咳払いで笑いを誤魔化そうとしたが失敗した。
ロビサは頬が熱くなるのを感じながら、差し出された丸パンをひったくるように受け取った。
「代金はあとで払います」
「今そこで意地張るくらいなら、もっと上手に礼を言えよ」
「あなたに礼儀を指導されたくありません」
「はいはい」
だがその声色には、昨夜ほど刺々しいものがなかった。
最初の聞き込み先は、下町の外れにある古道具屋だった。表向きは壊れた時計や錆びた燭台を並べているが、裏では拾いものとも盗品ともつかない品が静かに流れる。ロビサが入口へ足を踏み入れた瞬間、店主の目が細くなった。
「今日は役所の風だね」
「被害記録局です。昨夜、封蝋付きの封書が持ち込まれていませんか」
「さあねえ」
返答は速く、嘘も速い。
その横を、ハディジャが勝手知ったる顔で回り込む。
「親父、俺の顔見ても『さあねえ』って言うなら、本当に知らないんだな」
「なんだ、お前かい。朝からつまらない客を連れてきた」
「そのつまらない客が、今朝は怖い客なんだよ」
【続】