テラーノベル
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居間の空気が、最初から歪んでいた。
父の席だけが空いたまま、家族の視線はひとりに集まる。
「……また黙ってるの?」
母の声は、氷みたいに冷たかった。
テーブルの端に並べられた遥の皿には、他の誰のよりも少ない食事。
それでも、食べる前に言葉を求められる。
「感謝の気持ちも言えないの? 拾ってもらってる自覚ある?」
“拾ってもらってる”──その言葉が、毎晩の儀式だった。
兄弟たちは笑う。晃司は腕を組み、怜央菜と沙耶香は目を合わせて嘲る。
颯馬だけが黙っているが、その沈黙すら刃に見えた。
母の掌が机を打つ。
「ねえ、どうして黙ってるの。父さんに似て、卑怯なの?」
箸が滑り落ちる音が響いた瞬間、晃司が立ち上がった。
「母さん、俺やるよ」
そして、まるで日常の延長みたいに、遥の頬を掴んだ。
「ほら、謝れ。産まれたことを」
骨の軋む音が、小さく響いた。
痛みはもう驚きではなく、確認のようなものだった。
「ごめんなさい」と言えば言うほど、笑いが増えた。
沙耶香が冷ややかに言う。
「声が小さい。そんなのじゃ誠意が伝わらない」
怜央菜は頬杖をつき、
「だって“愛人の子”だもん。血が違うんだから、何を言っても浅いのよ」
その言葉に、母が頷く。
「そう。だから、ちゃんと“教えて”あげないとね」
晃司の拳が、無言で降る。
テーブルが震え、水が跳ねた。
「人間らしくなりたいなら、それくらい耐えろ」
そう言いながら、彼は遥の肩を掴み、椅子ごと倒した。
床に当たる音。
その音に合わせて、颯馬がぽつりと呟いた。
「……うるさいな、遥」
だがその声にも、哀れみはなかった。
母は立ち上がり、見下ろすように言う。
「あなたがここにいるのは“情け”なの。忘れないで。
本当なら、父さんの顔も見せられない存在なんだから」
“存在”──その言葉が、皮膚より深く刺さった。
沙耶香が立ち上がり、遥の髪を無造作に掴む。
「ねえ、聞こえてる? あんたの顔見てると、吐き気する」
「……ごめん……なさい」
「謝る相手、誰? “私たち”じゃないでしょ? 母さんでしょ?」
無理やり顔を上げさせられ、視界の端で母が笑っていた。
「違うわ、沙耶香。“神様”に謝らなきゃ」
その瞬間、家族全員が笑い出した。
それは嘲りではなく、“儀式の合図”のようだった。
晃司が息を吐き、
「おまえが父さんを汚した。だから、こうして“清めて”やってるんだ」
怜央菜が言葉を継ぐ。
「ねえ、私たちがここまでしてるのに、まだ理解できないの?」
沙耶香が囁く。
「愛されて生まれた子が、こんな顔するわけないでしょ」
──愛されて生まれた子。
その言葉を聞いたとき、遥は何かが崩れる音を確かに聞いた。
それは骨の音ではなく、心の奥に積もっていた“信じようとしていた何か”の音だった。
母が冷たく言い放つ。
「泣いても許されると思わないことね。
その涙は、あの人の罪の証拠なんだから」
その夜、遥は鏡を見た。
頬に残る痣が、誰の形かもう分からなかった。
ただ、映る自分の顔を見つめながら、思った。
“自分は何を罰せられているんだろう”と。
答えは、どこにもなかった。
あるのは、家族の中で繰り返される“正しさ”だけだった。
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