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風が抜ける音がした。屋上は、昼休みのざわめきから隔絶されて、遠くのチャイムがまるで別の世界のものみたいに響いている。
「ねえ、なんでお前さ、こんなに嫌われてるか、わかってる?」
ひとりの女子が、白いローファーのつま先で、遥の持ち物——潰れかけた布の弁当袋をつついた。すでに中身は、倒されたペットボトルの水に濡れて、飯粒と汁と一緒に地面を這っていた。
「……うん」
遥がぽつりと呟いた。
「うん、じゃないの。ちゃんと言ってみ?」
「……俺が、気持ち悪いから」
「ほらねー! 言えるじゃん!」
笑い声が弾ける。屋上の隅。逃げ道のない場所。扉の前には、もう一人、腕を組んだ男子が立っていた。にやにやしながら、スマホのカメラを向けていた。
「声もちょっと気持ち悪いよね。なんか、詰まってるっていうか。口開けるたびに空気が濁るっていうか?」
「目もヤバくない? なんかずっと見てる。怖いっていうより、うざい。距離感バグってるし」
「笑わないくせに、キモいって言われると無表情で固まるとこ。被害者ヅラしてんじゃねーよって思うよね?」
「あと、あれじゃん。体育のとき、誰も近寄らないのに勝手にひとりでやって、なんか“耐えてるオーラ”出してんの、マジでウザい」
「“頑張ってる自分”だけが大事なんでしょ?」
「自分守るためなら、周りどうでもいいって思ってるの、バレバレなんだよね。だから嫌われんの」
ひとつひとつ、杭を打つように声が飛んでくる。誰かが髪を引っ張り、誰かが弁当袋を蹴った。遥は何もせず、何も遮らず、ただその中心に立っていた。
「ごめん……なさい」
その声はかすれていた。
謝っているのに、誰も止まらない。
むしろ、火に油を注いだようだった。
「は? 誰に謝ってんの? ねえ?」
「マジで自分しか見てねーよな。みんな傷つけてんのに、自分だけ『俺は悪くない』みたいな顔して。……気づいてないふり? 逃げてんの?」
「最低なのに、“優しい人間でいたい”とか思ってんでしょ。無理だよ。お前のその根っこのとこ、全部気持ち悪いから」
遥の唇が、すこし動いた。
「……俺、やめたいんだ。こういうのも……ぜんぶ……でも、やめさせてくれないじゃん」
「は?」
「違う。俺が悪いって……わかってる。でも……どうしたらいいのか、わからなくて」
それを聞いた瞬間、女子の手が動いた。
遥の胸倉を掴んで、ぐっと引き寄せる。
「はああ? なにそれ? 言い訳? 助けてほしいって? だったら土下座でもしてみなよ。泣きながら、“全部俺が悪いです、みんなを傷つけてごめんなさい”ってさあ!」
遥は視線を落としたまま、動かない。
心の底から、水が染み出す音がした。
誰にも聞こえないそれは、遥の中だけで続いていた。
にじんで、濁って、出口を失った感情が、ようやく、堤を壊した。
「……うるさい」
その言葉は小さかったが、鋭かった。
一瞬、空気が止まる。
「……うるさい。やめろ」
「……は?」
「お前らの言葉、ぜんぶ……刺さってる。ずっと。消えない。寝てても、学校にいても、屋上にいても、何しても、頭の中にある」
遥の目が、初めて、相手をまっすぐ見た。
「俺が間違ってるのは、わかってる。でも……そんなに全部、お前らに決められたくない。俺がどう生きるか、どう壊れるか、俺の勝手だろ」
「……は?」
「ごめんって言っても許さないくせに、何言っても、何しても、気持ち悪いって……俺が人間じゃないみたいに言って、何が正しいんだよ」
声が震えていた。でも、それは怒りではなく、
どこまでも、静かな絶望だった。
次の瞬間、女子の手が離れた。
遥はその場に崩れ落ちる。
屋上の空は、透き通るように晴れていた。
けれど遥には、もう何も映っていなかった。