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夜遅く、部屋に戻った遥は、カーテンの隙間から漏れる街灯の光に影を落として、ベッドの縁に座った。
手のひらで顔を覆い、深く息を吸う。
あの映画館の人混み、夜道の静けさ、日下部の声。
頭では理解できても、心はついていかない。
「……なんで、こんなに……」
小さく呟く声が、夜に溶けていく。
普通に、ただ隣にいてくれただけなのに、なぜか胸が締めつけられる。
「楽しかったって……言ったけど……でも……」
言葉が途中で止まる。
楽しかった――その感情が、頭のどこかで、罪悪のように響く。
遥の心は、常に矛盾の中で揺れていた。
幼いころから浴びてきた暴力と支配、学校での陰湿ないじめ。
愛されること、信頼されること、誰かに寄り添われること――
そのすべてが、遥にとっては危険信号であり、同時に渇望だった。
日下部の優しさは、暴力とは違う。拒絶でもない。
でも、その優しさの正体が、どこか信用できない。
「無償のものなんて、存在しない」
幼い頃の記憶が囁く。
だから、素直に受け入れることができない。
だから、心のどこかで、試さずにはいられない。
手が自然とベッドのシーツを握りしめる。
自分を守ろうとする衝動と、寄りかかりたい気持ちがせめぎ合い、胸の奥で火花を散らす。
「……日下部は……どう思ってるんだろう」
頭では想像できる。
彼は優しくて、怒らなくて、壊れない人。
でも、遥の胸の奥の歪んだ部分まで理解しているのか――
それは、分からない。
蓮司の影も、ふと頭をかすめる。
自分を壊すように弄んできた記憶。
でも、日下部と過ごした今日の夜道の記憶と交差し、胸を締めつける。
「……おれ、また試しそうだな」
口に出すことはできない。
ただ、胸の奥で、自分の影が笑うように囁く。
涙がひと筋落ちる。
罪悪感と渇望が混ざった涙。
自分でも制御できない感情に、遥はただ体を丸めて耐えるしかなかった。
「……嫌われたくない……でも……怖い」
その言葉が、夜の闇に溶けて消えていく。
けれど、微かに残った温もりもある。
日下部の手の感触ではない。声のトーンでもない。
ただ、そこにいてくれるという事実だけが、胸を揺さぶる。
「……受け入れられない自分も……少しだけ……」
少しだけ、心が日下部に寄る感覚。
でも、怖さは消えない。
無償のものを信じられない自分、壊れることを恐れる自分、試さずにはいられない自分。
それでも、少しだけ、その優しさを拒否せずに感じられる瞬間があった。
遥は目を閉じ、深く息を吐く。
今日という普通の一日が、どれほど心を揺さぶったのか。
胸の痛みも、揺れる心も、すべてを抱えたまま、夜は静かに更けていった。