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放課後の相談室は、窓の外が赤く焼けていた。扉がきしむ音と一緒に、背の高い男子が入ってきた。
肩が落ち、目の奥に光がない。
遥はペンを机に置き、軽く顎で座るよう促す。
 「……俺、家に帰りたくない」
 それは挨拶でもなく、ためらいもない言葉だった。
遥は「ふーん」と低く声を漏らす。
 「親、うるさいとか?」
 「……いや、殴られる」
 男子は指で制服の袖をめくる。紫と黄色が混ざった痣が、まだ新しかった。
 遥は何も言わず、自分の首の後ろを触った。そこにも昨日の爪痕がまだ残っている。
 「……で?」
 男子は眉をひそめた。
 「で、って……逃げたいんだよ」
 「逃げろよ」
 「そんな簡単に言うなよ。金もねぇし、行くとこもねぇ」
 「じゃあ耐えろ」遥は肩をすくめた。
男子は呆れたようにため息をつく。
 「お前、マジで相談乗る気あんのか」
 遥は少しだけ目を細める。
 「あるよ。でも、現実は二択だ。逃げるか、耐えるか。……俺も耐えてる」
 「お前も?」
 「家でも学校でも、似たようなもんだよ。笑ってやり過ごさないと終わらない」
 男子はしばらく黙っていたが、やがてうつむいたまま呟く。
 「……俺、時々マジで消えたいって思う」
 遥は即答した。
 「俺もだよ」
 男子は顔を上げた。
遥は続ける。
 「でもさ、消える勇気もねぇから生きてる。耐えてる。……耐えるって負けじゃない。負けたくないから息してる」
 「……」
 「息してる間に、終わるときが来るかもしれないだろ。その時まで生き延びれば、勝ちだ」
 男子は唇を噛みしめた。
――その言葉が救いになるわけじゃない。
でも、嘘でもなかった。
 帰りたくない、という気持ちを完全に消せる答えはなかった。
けれど、「生き延びればいい」という言葉だけが、今日を越えるための細いロープのように思えた。
 彼は黙って立ち上がり、短く「また来る」とだけ言って扉を閉めた。
 残された相談室で、遥は椅子に沈み込み、息を吐いた。
――お互い、生き延びゲームのプレイヤーってだけだな。
そう思いながら、窓の外の赤が暗闇に飲まれていくのを見ていた。