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相談室には、暖房が入っていなかった。
それでも、窓際に差し込む夕方の光はやけにぬるくて、眠気を誘う。
椅子に座った女子生徒は、鞄を膝に抱えたまま、なかなか口を開かなかった。
遥は急かさない。ただ、時計を見ることもせず、そこにいる。
「……最近」
やっと声が落ちた。
「前みたいに、苦しくなくなったんです」
遥の指先が、わずかに止まる。
「前は、
成績とか、人の目とか、全部気になって、
毎日しんどかったのに」
女子生徒は、困ったように眉を寄せた。
「今は……
気にしないようにしてるわけでもないのに、
どうでもよくなってきて」
沈黙。
それを否定しない沈黙。
「楽になったはずなのに」
女子生徒の声が、少し震えた。
「それが、怖いんです」
遥はゆっくり息を吸った。
「頑張らなくなった、って感じか」
女子生徒は、はっきりうなずいた。
「前は、
“もっとちゃんとしなきゃ”って思えてたんです。
それができない自分が嫌いで」
手が、鞄の持ち手を強く握る。
「今は……
嫌いになる気力もない」
遥は、机の角にできた小さな傷を見る。
「楽になった理由、思い当たる?」
「……あります」
女子生徒は小さく言った。
「前、頑張っても、意味なかったことがあって」
それ以上は語らない。
でも、十分だった。
「それでだな」
遥は低い声で言う。
「心が、“もうこれ以上、削るのやめよう”って判断した」
女子生徒は目を見開いた。
「判断……?」
「逃げじゃない」
遥は言葉を選ぶ。
「自衛だ」
「でも……」
女子生徒は唇を噛んだ。
「このまま、何も感じなくなったらどうしようって」
「完全には、なってないだろ」
遥の言葉に、女子生徒は黙る。
「怖がってる時点で、まだ感情は生きてる」
「……でも、前の私のほうが、ちゃんとしてました」
遥は、少しだけ首を振った。
「前のは、“削りながら走ってた”だけだ」
女子生徒の視線が、ゆっくり上がる。
「削って、削って、
限界来たから、止まった。
それだけだ」
「じゃあ……
今の私は、間違ってないですか」
「正しいとも、間違いとも言わない」
遥は静かに答える。
「今は、止まる時期なだけだ」
相談室の外で、風が吹く音がした。
「頑張れなくなった自分を、
“ダメになった”って扱うと、回復が遅れる」
女子生徒は、ぽつりと呟く。
「……じゃあ、戻らなくてもいいんですか」
「“前と同じ”に戻る必要はない」
遥は即答した。
「削らないやり方で、また動ける日が来る」
女子生徒は、少しだけ肩の力を抜いた。
「今は、
楽になった自分を観察してればいい」
「観察……」
「無理に評価しなくていい。
“怠け”とか“終わり”って名前を付けるな」
沈黙が、少しやさしくなる。
女子生徒は立ち上がり、深く頭を下げた。
遥は視線を落としたまま言う。
「止まれるのは、生きる気がある証拠だ」
扉が閉まり、相談室に一人残る。
遥は、机に落ちた夕日の残りを見つめながら、静かに呟いた。
「……走れなくなるのは、終わりじゃない」
外の空は、夜に切り替わりつつあった。