放課後の校舎は静かだった。誰もいない屋上へと続く非常階段。その途中、三階の踊り場で、蓮司は壁にもたれていた。
制服は乱れていた。左の袖に血が滲んでいる。
おそらく喧嘩だろう。だが、どこも痛そうにしていない。
彼はただ、煙草に火をつけていた。
未成年、校内、流血──どれを取ってもアウトだが、
蓮司は“気にしていない”というより、“興味がない”ように見えた。
「……蓮司、お前なぁ……またかよ」
声をかけたのは、赴任してきたばかりの若い教師。
まだ正義感が残っていた。まだ“話せば分かる”と思っていた。
蓮司はちらりと目を向ける。
「せんせ、タバコ吸う?」
「吸わねぇよ……っ、火ィ消せ!今すぐ!」
「そっか。残念」
ぽそっと呟き、蓮司は口から煙を吐き出した。
階段の照明がくぐもった影を作る中、その目だけが異様に冴えていた。
「また喧嘩したんだろ?相手、鼻折れてるぞ。お前だって顔に──」
「いや、俺じゃねーよ。あいつ、勝手に転んだだけ」
にやりと笑うその顔が、悪びれたものではなかった。
むしろ、子供が石ころを蹴ったような、そんな無邪気さすらあった。
教師は眉をひそめる。蓮司の“軽さ”が、妙に重い。
どれだけ責めても、響かない予感だけがある。
「……お前さ、何がしたいんだよ。ケンカして、煙草吸って……そうやって大人ぶって、強くなったつもりか?」
その言葉に、蓮司の動きがふと止まった。
「……違うよ、せんせ」
笑いながら、蓮司は言った。
「俺さ、強くなりたいとか思ったこと、一度もねーの」
「……は?」
「ただ、“消えない”だけ。殴っても蹴っても、血流しても……俺、全然消えねぇんだよ」
不思議そうに笑いながら、指先についた血を見せた。
「ほら、これだって。流れてんのに、生きてんだ。意味わかんなくね?」
「……お前……」
教師は言葉を失った。
目の前の少年は、“反省していない”のではない。
“人間の言葉”を理解していないだけだ。
「死んだやつ、火つけたやつ、捕まったやつ。いろいろいたけどさ。
俺はたぶん、置いてかれただけなんだよなー。なぜか、生きたまま」
風が吹いた。蓮司の髪が揺れる。
「生き残った、って言うよりさ──
燃えた後の、灰のカケラだけ残ったって感じ」
ポケットからもう一本煙草を取り出すと、また火をつけようとする。
教師は、止められなかった。
その手を叩くことも、その言葉を否定することも。
ただ背筋に、どうしようもない悪寒だけが残った。
蓮司は、にこっと笑った。
「せんせ、次の授業なに?出るわ、たぶん」
それだけ言って、踊り場を降りていった。
残された煙の匂いと、血の痕だけが、そこに浮かんでいた。