テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
4
31
1,630
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
祭りの最後の灯りが消えはじめた頃、花屋の裏ではまた紙と数字の時間が始まっていた。余韻に浸る暇を、オブラスは一切くれない。
「釣り銭袋、回収。予約票、店別に分けます」
「いまですか」
ハヤが言う。
「いまです」
オブラスは即答した。
「感動は逃げませんが、数字は逃げます」
皆がぐったりした顔のまま、それでも机を囲む。エフチキアは予約票を仕分けし、ジョンナは回遊地図の回収分から人気動線を抜き出し、エルドウィンは屋台と備品の返却表へ印をつける。疲れているはずなのに、手だけは止まらない。
しばらくして、オブラスが計算機から顔を上げた。
「採算ラインを越えました」
その一言だけで、空気が止まる。
「祭り単体の売上、予約転換、定期注文見込み、共同企画の受付件数。全部合わせて、当初の維持条件を上回っています」
エフチキアが小さく息を呑み、ハルミネは椅子へへたり込んだ。ドゥシャンは「ほんとに?」を三回言ってから、ようやく理解した顔になる。ノイシュタットだけが、珍しく何も言わずに目を閉じた。
ハヤはすぐには喜べなかった。
紙の上の数字なのに、ここへ来るまでの朝の水揚げも、夜の片づけも、山道の泥も、名札の紙の手触りも、全部がそこへ乗っているのが見える気がしたからだ。
「花屋だけ、じゃないんですよね」
やっとそう言う。
オブラスはうなずいた。
「花屋単体で無理をする形ではありません。商店街全体で支え合う方が強い。今回の数字は、それを証明しています」
共同で仕入れをまとめられるもの、受付窓口を一本化できるもの、季節ごとに回遊を小さく続けられるもの。数字は、ばらばらに見えた人の働き方が、ひとつの循環になり始めていることを示していた。
「一過性じゃないってことだ」
ジョンナが静かに言う。
「はい」
オブラスが答える。
「少なくとも、明日で終わる熱ではありません」
その瞬間、誰からともなく拍手が起きた。今度の拍手は、昼間のように町へ向けるものではない。自分たちへ向ける、少し照れた拍手だった。
アンネロスが目元を指で押さえる。
「こういうの、仕事のあとに来るからずるいのよ」
「泣いてます?」
エフチキアが聞く。
「粉が入っただけ」
「焼き菓子屋なのに?」
笑いが起きる。
ハヤは自分の名札を外しかけて、やめた。今日はもう終わりかもしれない。でも、この紙をまだ外したくなかった。
採算ラインを越えた。
それは派手な逆転ではない。けれど、無名で終わるしかないと思っていた人たちが、ちゃんと明日の勘定を持てる場所へ上がったということだった。