テラーノベル
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祭りから数日後の朝、花屋「花は散らない」の前には、脚立と木材と、まだ布のかかった長い板が置かれていた。
祭りの熱が過ぎても、町は妙に静まり返らなかった。予約の電話が入り、焼き菓子との組み合わせ注文が増え、神社帰りの客がふらりと立ち寄る。笑い声がなくても、祭りの続きが日常へ染み出している。
その日、店の看板が掛け替えられることになった。
「そんな大げさなことしなくても」
ハヤが言うと、澄江は鼻で笑った。
「店が生き延びた日に、看板のひとつも変えなくてどうするの」
脚立の上にはエルドウィン、下ではマクスミリンが金具の位置を見ている。二人とも余計なことは言わないが、締めるねじの音だけで仕事が進んでいく感じがあった。
「右、あと少し」
「二ミリ」
「細かい」
「看板は細かくていい」
布が外される。
現れた木の板には、見慣れた店名が少しだけ新しい字で刻まれていた。
花は散らない
そして、その下に小さくもう一行。
語りと花の店
さらに端には、控えめな文字で、商店街共同受付窓口とも入っている。
ハヤはしばらく言葉が出なかった。新しいのに、派手ではない。今までの店を否定せず、それでいて、この数か月で変わったものだけをきちんと足している。
「気に入りました?」
ハルミネが少し不安そうに聞く。
「……はい」
それしか言えなかった。
ノイシュタットは店先から少し離れた位置で眺めていた。
「悪くない。いや、かなりいい」
「自分の手柄みたいに言わないでください」
「半分くらいは僕の美意識が入っている」
「二ミリも入ってません」
そのやり取りに、周囲が笑う。
昼前、最初の客が新しい看板を見上げて入ってきた。
「語りと花の店って、ぴったりねえ」
そう言って、送別用の花束を頼んでいく。別の客は、共同受付窓口の文字を見て、次の小さな催しの相談を置いていった。
ハヤは鏡の前で、甘い名札を自分でつける。
まだ少し照れる。けれど手はもう迷わない。
名前をつけること、名を掲げること、そのどちらも、前より少しだけ自分のものになっていた。
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