テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
洗濯機の終了音が、控えめに鳴った。
夕方と夜の境目みたいな時間で、外はもう暗い。部屋の中だけが、少し早く夜を始めている。
「終わったみたい」
真白がソファから腰を上げる。
アレクシスはノートパソコンを閉じ、キッチンの方を見た。
「マフラー、入れてたよね」
「うん。昨日、外で変な匂い付いた気がして」
「雨?」
「それもあるけど、人混み」
「ああ」
納得したように、アレクシスは立ち上がる。
洗濯機のふたを開けると、湿った布の匂いがふわっと広がった。
「縮んでない」
「よかった」
「素材、気にしてた?」
「ちょっと」
真白は洗濯槽をのぞき込み、マフラーを引き上げる。
水を含んだそれは、思ったより重そうだった。
「干す?」
「干す」
「部屋?」
「外はもう無理」
「じゃあ、ここ」
リビングの端、窓際にある簡易スタンドを引き寄せる。
アレクシスが位置を調整している間、真白はマフラーを両手で持ったまま、少し迷っていた。
「どうした」
「干し方、これでいい?」
「普通で」
「普通って難しい」
「じゃあ、俺がやる」
「一緒に」
「……一緒に?」
「うん」
真白はマフラーの端を持ったまま、アレクシスの方を見る。
拒否する理由はなくて、アレクシスは反対側を持った。
「引っ張らないで」
「引っ張ってない」
「重力」
「それは俺のせいじゃない」
息を合わせて、ゆっくりとスタンドにかける。
指先が、また少し触れた。
「最近、多いね」
真白が言う。
「なにが」
「こういうの」
「……冬だから」
「便利な理由」
「嫌じゃないなら、使う」
「使われてるの、俺?」
「今は、マフラー」
「じゃあ、いい」
マフラーはきれいに広がり、部屋の空気に馴染んでいく。
加湿器の静かな音と重なって、湿度が少しだけ上がった気がした。
「乾くまで、時間かかるね」
「明日の朝かな」
「じゃあ今日は、別の」
「うん」
真白は自分の首元を無意識に押さえる。
「寒い?」
「少し」
「暖房、上げる?」
「ううん」
「じゃあ」
アレクシスは戸棚から、ブランケットを取り出した。
ソファに戻ると、真白の隣に座る。
「これで」
「……ありがとう」
「マフラーの代わり」
「役不足」
「そう?」
「巻けない」
「巻かなくていい」
ブランケットをかけたまま、二人並んで座る。
テレビはついていない。特に話題もない。
「ねえ」
「なに」
「乾いたらさ」
「うん」
「また、貸して」
アレクシスは一瞬だけ考える。
「洗ったばかりだけど」
「だから」
「……理由になってない」
「じゃあ、匂い移るまで」
「それは困る」
「困る?」
「真白の匂い、残る」
「それ、嫌?」
「嫌だったら、今言う」
「じゃあ……困らない、の?」
「少し、慣れが必要」
「時間、あげる」
「ありがとう」
ブランケットの端が、二人の間で重なる。
マフラーはまだ濡れていて、部屋の端で静かに揺れていた。
乾くまでの時間は、思ったより長い。
でも、急ぐ理由はどこにもなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!