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映画館を出て、繁華街の灯りから外れた道に入ると、街のざわめきが遠ざかっていった。夜風が肌を撫で、夏の熱を少しだけ削ぐ。
「このあと、どっか寄るか」
日下部が言った。
遥は小さく首を振る。
「……いい。もう、今日は疲れた」
本当は疲れたのではなく、息が詰まっていただけだった。人混みも、笑い声も、自分がそこに混じろうとしていることも。
「そっか」
それ以上追及せず、日下部は歩調を合わせてくる。
しばらく無言で並んで歩いた。
ビルの隙間から月が覗いている。街路樹の影がアスファルトに落ち、二人の影がそこに混ざって伸びていく。
――普通のデート。
頭の片隅で、その言葉がくすぶった。
映画を観て、街を歩いて、手をつないで。
そんなものを欲しがっていた覚えはなかった。
むしろ、あの頃は軽蔑していた。自分には縁のないものだと、最初から切り捨てていたはずだ。
けれど実際に隣に誰かがいて、こうして歩いていると――笑えるくらい胸がざわついた。
心臓が落ち着かない。どこか、無理をしている気がする。
「……なあ、日下部」
「ん」
「おまえ、今日……楽しかった?」
自分でも嫌になるくらい、声が弱かった。
日下部は足を止めた。
「……楽しかった」
あっさりとした返答に、遥は思わず顔を背ける。
「……嘘つけ」
「嘘じゃねえ」
日下部は淡々と続けた。
「おまえが隣にいてくれりゃ、それでいい」
その言葉は、遥の胸に突き刺さる。
安堵と痛みが同時に走る。
自分なんかで「いい」と言われることが、どうしようもなく怖い。
「……そんなの、ほんとに信じてんのかよ」
「信じてる」
日下部の声は静かだった。
揺らがない分だけ、残酷にも思えた。
遥は立ち止まった。肩がわずかに震える。
「おれ……ずっと汚いことばっかしてきたんだぞ」
「知ってる」
「試した。おまえも……壊そうとした」
「知ってる」
「……でも、今日は。なんか……」
声が掠れる。
言葉にならない感情が喉で渦を巻いて、どうにも吐き出せなかった。
日下部は少し間を置いてから、短く言った。
「じゃあ……それでいいんじゃねえか」
遥は、顔を歪めた。
「なにが、いいんだよ……」
「壊そうとしたって言った。でも今は壊してない。隣にいる。……それで十分だろ」
遥は俯いて、唇を噛む。
十分、なんて。
そんな言葉を、自分がもらっていいはずがない。
でも、胸の奥のどこかが、その一言に縋りつきたがっていた。
しばらく沈黙が続いた。
遠くで電車の音が響く。
やがて、遥が小さく息を吐いた。
「……おまえ、ほんとバカだな」
その声は、泣き笑いのように震えていた。
日下部は答えず、ただ隣に立ち続けた。
二人の影が街灯の下で重なり、ゆっくりと夜に溶けていった。