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白山小梅
その日の午後、七星は連絡をくれた弁護士のいる事務所の一室にいた。
「本日は、わざわざお越しいただきありがとうございます」
「こちらこそ、ご連絡ありがとうございました」
「あなたが、離婚された奥様と暮らしていたお嬢さんですね」
「はい」
「お会いできてよかった。実はお父様、病気が分かった直後に当事務所へ来られて、長く会っていない娘さんへの遺産について相談したいとおっしゃっていたんですよ」
「父が……?」
七星は驚き、目を見開いた。
女を作って家を出ていった父は、一度も連絡を寄こさなかった。
噂では再婚して新しい家庭を築いたと聞いていたため、七星のことなどもう忘れているのだろうと思っていた。
その父が、自分の死後の遺産を、音信不通だった娘に残そうとしていた――その事実は、七星にとってあまりにも意外だった。
「お父様は、ずっとあなたのことを気にかけていたとおっしゃっていましたよ」
「え……?」
「再婚して新しい家庭を作られ、お子さんも二人いたようですが、自分が亡きあとはあなたにもきちんと遺産が渡るようにしたいと、わざわざ相談に来られたんです」
七星は言葉を失った。
そして、ずっと気になっていたことを、恐る恐る尋ねる。
「父は……家を出ていったとき、会社も辞めたはずですが、仕事はしていたんですか?」
「はい。貿易関係の小さな会社を経営されていました」
「父が……会社を?」
「ええ。運よく事業が軌道に乗り、経営は順調だったようです。財産もそれなりに築かれていましたので、別れた娘さんにもぜひ渡したいと強くおっしゃっていました」
家を出たときの父は無一文だったはずなのに、会社を興し成功していた――その事実に七星は驚きを隠せなかった。
しかし、遺産を受け取るつもりのなかった七星は、意を決して口を開いた。
「その件ですが……私は受け取れません」
弁護士は一瞬目を丸くし、そしてふっと笑った。
「やはり。お父様もそうおっしゃっていましたよ。七星さんはきっと拒否するだろう、と」
「え?」
「ですので、あなた宛てにお手紙を残されています。どうぞ、お読みください」
弁護士は一通の封筒を差し出した。
七星はためらいながら封を切り、手紙を読み始めた。
そこには、父の想いがびっしりと綴られていた。
『七星へ。
ずっと連絡しなくて、本当にすまなかった。
信じてもらえないかもしれないが、父さんはずっとお前のことを気にかけていた。
父さんと母さんは、ある時期から喧嘩ばかりして、まだ小さかったお前を不安にさせてしまったな。
あの頃のことは、今でも胸が痛む。
母さんとは結局、喧嘩別れのようになってしまったが、お前のことはずっと愛していたし、離れてからも毎日のように思い出していた。
こんなことを今さら言っても遅いだろうけどね。
あの日、母さんは父さんが浮気をしていると責め立てたが、父さんは誓って浮気はしていない。
これは本当だ。
今、父さんには新しい妻がいるが、それは母さんと離婚して七年後に出会い、結婚した相手だ。
離婚してからの父さんは、会社を立ち上げ、なんとか軌道に乗せることができた。
商売も順調にいき始めた矢先、癌が見つかった。
もう長くはないと告げられたとき、真っ先に浮かんだのはお前の顔だ。
それで弁護士の先生にお願いして、この手紙と遺産のことをお前に伝えてもらうことにしたんだ。
「遺産なんていらない」とお前は言うだろう。
それも分かっている。
だが、それでも受け取ってほしい。
父親として、お前に何もしてやれなかったことが、悔やんでも悔やみきれない。
お前が遺産を受け取ってくれなければ、父さんはきっと成仏できない……。
脅すつもりなどないが、本当にそう思っているんだ。
だから頼む。
弁護士の先生にすべて任せて、お前の分の遺産を受け取ってほしい。
これが、父さんからの最後の願いだ。
七星、遺産はお前の好きに使いなさい。
将来の結婚資金にしてもいいし、行きたいところへ旅行に行ってもいい。欲しいものがあれば、それに使いなさい。
どうか、父さんがそばにいると思って、お前のために好きに使ってほしい。
これが、父さんから七星への最後のお願いです。
父より』
読み終えたとき、七星の頬には静かに涙が伝っていた。
それに気づいた弁護士が、そっとティッシュの箱を差し出す。
「すみません……」
「無理もないですよ。ずっと連絡を取っていなかったのですから」
「……はい。驚きました」
「事情はすべてお父様から伺っています。当時、お母様は精神的に不安定で、お父様が浮気していると決めつけていたようですね」
「そう……だったんですか?」
「はい。お父様がそうおっしゃっていました」
「そうだったんだ……」
七星は涙を拭いながらつぶやいた。
「お父様の最後の願い、かなえてあげてもらえませんか?」
遺産がどれほどの額かは分からなかったが、手紙を読んだ七星の心は、父の望みを受け入れる方向へと傾いていた。
「……分かりました。父の気持ちを素直に受け取ります」
弁護士はほっとしたように微笑む。
「では、こちらにサインと捺印をお願いします」
七星は、事前に持ってくるよう言われていた実印と書類をバッグから取り出す。
「では、こちらの書類にも、同じようにお願いします」
そのとき、書類の隅に記載された相続額が目に入った。
「え……これって……」
「あなたが相続されるのは、五千万円です」
「……そんなに?」
「はい。お子様はあなたを含めて三名ですので、公平に分けてこの額になります」
「わ、分かりました……」
見たこともない大金に、七星の手は震えていた。
言われるままに署名・捺印を終えると、最後に振込先口座を伝える。
「では、手続きは以上です。遺産は明日、指定の口座に振り込まれますので、明後日にはご確認いただけると思います」
「分かりました。あの……」
「はい?」
「父の……形見のようなものを、何かいただけないでしょうか?ボールペン一本でも構いませんので、父が使っていたものを……」
「承知しました。では、その旨をご家族にお伝えします。了承が得られましたら、こちらからご自宅へ郵送いたしますね」
「ありがとうございます。本当に……何から何まで」
七星は立ち上がり、深々と頭を下げて、弁護士事務所を後にした。
コメント
24件
七星ちゃん、今は亡きお父さんの本当の気持ちを知ることができて良かったですね…🍀✨️ 本当は、残してきた娘が心配で堪らなかったのでしょうね🥹 5000万円もの遺産…! 七星ちゃんが幸せのために使ってくれたら、天国のお父さんもきっと喜んでくれますね✨️
お父さんのお手紙に涙でした🥹 離れていても、ずっと七星ちゃんを想ってくれてたんだね✨️ お父さんの本当の気持ちを知って、 うるうるしちゃいました🥹 優人先生と連絡つかないままなのが ソワソワ… 偶然出会えるかな…?? 2人が会えますように(*>人<)
お父さんの気持ちが嬉しいね。 何か形見をれもらえると良いんだけれど。 お父さんは、きっと会いたかったと思うなぁ。