空気の質が変わった。朝の教室は、まだ陽の光が斜めに差しているというのに、どこか冷たい。
遥が入ってきた瞬間、その冷気は形を持った。
「……日下部、もう関係ないんだって?」
誰かが笑う。
それは問いではなく、確認。
──確認のあとに、笑いが連鎖する。
机を指で叩く音、椅子をずらす音、鉛筆を転がす音。
小さな音の群れが、まるで合図のように教室全体を動かした。
「結局さ、かわいそうなのは日下部だよな」
「わかる。あんなの関わったら終わりだし」
「前に泣いてたの、演技じゃね?」
遥は何も言わない。
言えば、もっと壊れると分かっている。
静けさを守るために沈黙を選んで、それが嘲笑に変わる。
机の上に置いた手が、誰かの足に蹴られて揺れた。
声を出さなかった。
誰の仕業か分からない。
ただ、どこかで蓮司が笑っている気配がした。
彼は黒板の前、教師のいない隙を狙って、何気なく言う。
「なあ、誰が悪いって話でもなくない?
こうなったのって、ほら──自分で選んだ結果ってやつ」
言葉は軽い。
だが、その軽さが、クラス全員の手を自由にした。
“許される暴力”の雰囲気が漂う。
それぞれの罪悪感が、彼の声で薄められていく。
──そして、誰も止めない。
笑う者、見て見ぬふりをする者。
そのどちらも、同じ沈黙の加害者。
遥の視界は霞む。
痛みと羞恥と、空気の重さが混ざって、何も考えられない。
ただ、誰かが言った。
「ほんと、日下部が気の毒。あんなのに関わられて」
それが決定打だった。
“可哀想”という名の刃物が、最も深く突き刺さる。
蓮司は微笑んだまま、その光景を見ている。
まるで一幕の劇の完成を確かめるように。
──再び、地獄が始まった。
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