テラーノベル
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夕暮れが教室の窓ガラスを赤黒く染めていた。最後のチャイムはとうに鳴り終わって、他の生徒たちは残らず消えていた。
遥は、窓際の席に座ったまま動かない。
開きっぱなしの鞄、脱ぎかけの制服の上着。ぎこちなく脱ぎかけてやめたように、肘にかかっている。
日下部がまだいるのは知っていた。
というより、遥はそれを前提にしていた。
気配でわかる──日下部は黒板の前、誰もいない教壇の脇に立って、なにも言わずにこちらを見ている。
「……なに見てんの」
遥が先に口を開いた。投げ捨てるような声。
「見せてやってんじゃん、こっちは」
わざとだった。
制服のボタンをひとつ、ふたつ、外してみせる。だが肌を露骨に見せるわけではない。下を向いたまま、指だけが動く。
「……どうせ、あいつらと同じだろ。触りたいだけなんだろ。俺が、どんな顔してても」
低く呟いたその言葉には、棘と、投げやりな諦めと、ほんの微かに震える怒りが混じっていた。
日下部は答えない。
いや、答えられないのかもしれない。
遥は笑った。喉の奥でくぐもった、ひび割れた音だった。
「見ろよ。ほら……なんで、おまえだけ、触んないんだよ……」
それは誘いではなかった。詰問だった。
試すように、遥は立ち上がり、教室の床を靴の音立ててゆっくりと歩く。
日下部のすぐ前まで来て、顔を覗き込んだ。すぐ目の前。睫毛の揺れも見える距離。
「さっさとさ、殴ってでも押し倒してでも、あいつらみたいにしてくれたら、俺、もっと楽なんだけど」
嘘じゃない。
でも、本気でもない。
遥の目の奥には、ずっと深いものが沈んでいた。何も映さない湖面のような──それでいて、ざわめきだけが残っている。
日下部が何かを言おうと口を開くと、遥はそれを遮るように、ほんのわずかだけ喉を鳴らして、笑った。
「──やっぱ無理か。そっか」
そう言い残すと、遥は日下部の腕をすり抜けて、廊下へ出ていった。
誰もいない夕暮れの校舎に、遥の足音だけが残った。
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