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男の話は、最後まで一貫していた。
声の調子も、言葉の選び方も、沈黙の置き方さえも、初回の聞き取りと変わらない。録音を再生しても、食い違いは見つからないだろうと、誰もが思った。
それでも――。
「……矛盾はないな」
燈が、机の上のメモを閉じる。否定ではなく、確認に近い声だった。
「はい」
玲が頷く。
「供述は終始整合しています。動機、行動、結果。時間の流れも無理がない。警察がこれ以上踏み込まなかったのも分かる」
真琴は腕を組んだまま言った。
「本人が名乗り出て、説明もして、被害届も出ていない。ここまでは“よくある話”です」
その言葉に、男は小さく息を吐いた。救われた、というよりは、確認が終わったことへの反応に見えた。
澪だけが、まだ何も言っていなかった。
男の視線は、無意識のうちに彼女を避けている。そのことに、本人は気づいていない。
「……一つ、いいですか」
澪は、静かに口を開いた。
「はい」
男は即答した。
「あなたが話している“動機”ですが」
澪は言葉を選びながら続ける。
「それは、あなた自身の感情ですか?
それとも、あとから“そう説明できるもの”として整理したものですか」
一瞬、空気が止まった。
男はすぐには答えなかった。困惑でも、怒りでもない。ただ、考える時間を与えられたような顔をしている。
「……違いが、あるんでしょうか」
「あります」
澪は即答した。
「感情は、もっと不揃いです。説明みたいに、きれいには並びません」
燈が視線を上げる。
真琴も、初めて澪の方を見た。
「あなたの話は」
澪は続けた。
「“こう言えば理解される”順番で並んでいる。だから、聞いていて納得はできる。でも――納得できすぎるんです」
「それは……」
男は言いかけて、言葉を探した。
「整理しようとした結果です。自分なりに」
「誰かに、整理の仕方を教わりましたか」
今度は、明確な間があった。
男の指が、膝の上でわずかに動く。
「……いいえ」
少し遅れて、そう答えた。
嘘だ、とは思わなかった。
だが、真実でもない、と澪は感じた。
「もし」
玲が、会話を引き取るように言った。
「仮に、あなたの説明が“誰かに与えられた枠組み”だった場合」
男が顔を上げる。
「その場合、成立するのは“あなたが語っている事件”ではなく、別のものになります」
「別の……?」
「ええ」
玲は淡々と言った。
「あなたは犯人ではない、という可能性ではありません。むしろ逆です。“あなたが語っていない動機”の事件が、別に存在する可能性です」
燈が小さく舌打ちをする。
「つまり」
真琴が言葉を継いだ。
「今の話は、法的には完結している。でも、心理的には別件が隠れているかもしれない、ってことです」
男の表情が、初めて揺れた。
「……それは」
声が低くなる。
「調べるんですか」
その問いに、誰もすぐには答えなかった。
探偵としては、進めるべきだ。
だが同時に、それは“表に出さなくていい事件”でもある。
澪は、男ではなく、机の端に置かれた資料に視線を落とした。
そこには、整いすぎた年表と、過不足のない要約が綴じられている。
――誰かが、ここまで整えた。
その感覚が、はっきりと輪郭を持ち始めていた。
「……今日は、ここまでにしよう」
燈が、少し強めの口調で言った。
「え?」
「これ以上進むと」
燈は男を見る。
「あなたにとって、必要以上の話になる」
男は何か言いかけて、やめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「分かりました」
帰り際。
ドアが閉まる直前、男は一度だけ振り返った。
その視線が、また澪を避けて通る。
それを見て、澪は確信に近いものを得た。
この事件は、まだ“始まっていない”。
だが、始めてしまえば――別の名前を持つ事件になる。
机の上には、きれいすぎる資料が残っていた。
それを、事務側の誰かが、後で整え直すことになるだろう。
澪は、その未来を、はっきりと想像できてしまった。