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無名の灯 恋愛編

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無名の灯 恋愛編

5 - 第5話 こわすつもりだった

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2025年07月22日

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教室には誰もいなかった。掃除の時間をとっくに過ぎたその場所に、まだ遥はいた。

黒板に背を向けて、教卓の前。日下部はその視線の先に立っている。


「なにしてんの、おまえ」


遥は、口元にだけ笑みを浮かべた。


「べつに。……遊んでくれんのかと思って」


冗談のように言った。嘲るような声の抑揚だった。けど、その中には明らかに“試す”ような何かがあった。やってきたように。ずっとやってきたように。


ゆっくり、遥は日下部に歩み寄る。肩に指先がふれる。


ほんのそれだけで、日下部の身体がぴくりと反応した。


「……やめろって」


その言葉は、静かだった。怒鳴りもしない。ただ真っすぐな拒否だった。


遥の表情が止まった。


時間が、ほんの一瞬、切り取られたみたいに。


「……なにを?」


「わざと触るな。……そういうふうにすんなって言ってんだ」


遥は、笑った。


だけど、笑ってなんかいなかった。


「“そういうふう”って、どういうふう?」


「……」


「なあ、“淫乱”とか“誘ってる”とか、“簡単に抱かせる”とか。言えば?」


遥の声は、無感情に近かった。


それは、突き刺すための棘じゃなかった。


ただ、自分がそう“言われること”に慣れてしまっているだけだった。


「……そういう目で見たこと、ないから」


日下部の言葉が落ちる。


遥は、笑えなかった。


(……ほんと、だる)


心の中で呟いたのは、苛立ちじゃなかった。なにか、もっと不確かなもの。


“壊すつもり”で近づいた。


どうせまた、触れて、撫でて、舐めて――そうしてくれれば安心できた。


でも、日下部は突き放すように距離をとる。


誰にも必要とされなかった子どもが、大人の指先に反応するようになっただけの身体。


その価値を、一度も“拒まれたことがなかった”遥にとって、その言葉は不意打ちだった。


(おれじゃ、ダメってこと?)


(それとも……“本当に”見ようとしてんのかよ)


遥は、視線を伏せた。


嘘の笑みは、もう貼りつかなかった。



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