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#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
114
午後の資料室は、乾いた紙の匂いで満ちていた。
ロヴィーサが机いっぱいに名簿を広げ、グルナラがその横で古い利用記録をめくっている。差し込む光の中で、昔のインクが少しだけ金色に見えた。
「見つけた」
ロヴィーサが指先を止める。
そこに並んでいたのは、今の町で見慣れた名字ばかりだった。市場の八百屋。靴修理屋。先日の寄付を断った老人。朝いちばんに散歩する夫婦。昔、水害の夜にしずくシェルターへ避難した人たちの名前。
「こんなに……」
パルテナが息をのむ。
グルナラが静かにうなずいた。
「この町の年配者の多くは、直接か家族を通じてここに助けられてる。だから軽く扱われたと感じた時、痛みが深かったんだと思う」
パルテナはしばらく何も言えなかった。あの日、自分が善意のつもりで口にした言葉が、どれだけ相手の記憶を踏んでしまったのか、今さら骨まで届いたような顔をしている。
サベリオは名簿を見つめながら言う。
「行こう」
その日の午後、サベリオたちは手分けして町を回った。
パルテナは一軒ずつ玄関先で頭を下げた。言い訳はしなかった。ただ、自分が知らなかったこと、軽く聞こえる言葉を口にしたこと、それで傷つけたことを、正面から詫びた。
最初の数軒は扉が少ししか開かなかった。
それでもヌバーが横から口をはさむ。
「今日は説得じゃないんです。戻ってきてほしい人の顔、ちゃんと見に来ました」
その言い方はずるいくらい明るくて、けれど軽くなかった。
市場の端の家では、先日の老人が長い沈黙のあとで言った。
「ここを残したいなら、残したい理由を最初からそう言えばよかったんだ」
パルテナはうつむかずに答える。
「はい。やっと分かりました」
老人は鼻を鳴らし、やがて家の奥から古い写真を持ってきた。
写っていたのは、まだ若かった頃の家族と、しずくシェルターの前に積まれた物資箱だ。
「この夜、うちは助かった」
写真を差し出す手が少し震えている。
「使うなら使え」
その一枚をきっかけに、閉じていた扉が少しずつ開いていった。
別の家では、当時の避難記録を知る人が音の記憶を語ってくれた。別の家では、古い鐘の録音を聞いたことがあるという人が現れた。誰かの恩は、年月の底へ沈んで消えたのではなく、ただ呼ばれるのを待っていたのだ。
夕方、シェルターへ戻った時には、机の上に署名と写真と昔話のメモが増えていた。
ロヴィーサがそれらを見て、小さく笑う。
「昔の名前を掘ったら、今の人が戻ってきた」
ヌバーが胸を張る。
「誘ってるんですけど、って言い続けたかいがありましたね」
誰かが吹き出し、重かった空気が少しやわらぐ。
サベリオは写真の中の古いシェルターを見つめた。あの夜に助けられた人たちの恩が、今夜こちらを助けに戻ってきている。
春は巻き戻ってばかりいたのに、人の気持ちは、ちゃんと前から後ろへつながっていた。