「随分前の話なのに覚えていてくれたんだね」
「まぁ、な」
(…… お前との、最後の会話だったんだから当然だろ)
スキアだって忘れてはいなかった。ただ、最近までは思い出す事すらも避けていただけで。
パンっと両手を叩き、狐みたいに笑いながら「そっか、良かった!」とレアンが言う。でも内心、『…… でも、その割には自分の行動に反映は出来なかったみたいだね』と考えたが、また拗ねるかもと思うと言葉には出さなかった。
「でもさ、“あの子”をいざ回収しようと決めたは良いけど、実際行動してみるとすごく大変だったんだよね。運悪く全く別の世界に生まれ変わちゃったから、本体が“黒竜”な私は強大な者であるが故の代償としてこの世界に縛られているせいで異世界にまでは逢いに行けない。『ならばこっちへ引っ張り戻そう』と考えたけど、その手段が私には無かった。情報を集めている流れで魔塔になら転移魔法の方法が眠っていると知ったけど、今度はその転移魔法陣に強固な縛りがあったうえに禁忌扱いになっていたからね、起動させる為の理由も必要だしで、もう…… 。幸か不幸か魔族との戦争でヒトが絶滅の危機にあったり、復興の人手不足が深刻な状況になっていたからそれを利用させてもらったりって、ね。本当は生まれてすぐにこちらへ迎い入れておくつもりだったのに、予想以上に下地作りで苦戦したせいで向こうの世界では九年も経過してしまった。まさかそのせいで…… “あの子”が、あんな扱いをされるだなんて思ってもいなかったからかなり焦ったよ。せめてもの償いにと、此処へ来てからは“あの子”の周囲には“あの子”を『好き』『可愛い』って思ってくれる者ばかりを集めてみたんだけど…… 意思のある生き物が相手では、完全にとはいかなかったけどね」
視線を落とし、レアンがはぁと深いため息をついた。揺れる瞳には苦悩が混じっている。その様子に共感し、スキアはギリッと軋む程強く歯を食いしばった。
「…… 結局僕は、アンタの策に落ちたって事か」
苦々しい顔をしながらスキアが重たい息を吐き出した。自分で“あの子”を選んだつもりだったのに、全てはリュークェリアスの手の上での愚行だったのかと思うと、複雑な気持ちになる。
「それは違う!」
レアンは前のめりになりながらはっきりと否定した。
「言っただろう?『謝る為にも回収した』って」
「…… どうだか」と言い、スキアが鼻で笑う。その瞳には悔しさが滲み出ていた。
「“あの子”にはもう、“監獄の乙女”としての能力はほぼ無いんだ。魔力の無い世界に生まれ変わった時点でその能力の大半を既に失っていた。ただ、私の鱗から引き剥がす事が不可能だったせいで権能の一部が残ってはいるが、その…… 」とまで言って、レアンが気まずげに視線を逸らした。ここできて言わないつもりは無いが、言うと一層スキアの機嫌が悪くなりそうで言い出し辛い。
「何だよ、そこまで言って何を渋ってるんだ?」
眉間の皺がまた深くなった。これではレアンよりもスキアの方が年上に見えてしまう。
「あー…… 、だって、ねぇ?」
「——あ?」とこぼし、スキアがレアンをキッと睨む。“リュークェリアス”の姿であれば笑って話を濁す事も可能だったが、今はヒトの肉体を持つ“レアン”である為、彼は降参でもするみたいに両手を挙げた。
「わかった!言うよ。ちゃんと言うから、“この体”を壊そうとするのは止めてくれないか?」
不穏な動きをしていたレアンの足元の影がすっと元に戻った。このままテキトウに誤魔化していたらきっと、レアンは影の中に引き摺り込まれていただろう。
瞼を落とし、「ふぅ」と一息つくとレアンが顔を上げる。そして少し困り顔をし、スキアの目を見ながらゆっくり口を開いた。
「…… あのね、今の“あの子”は、“精神体”である者が自ら進んで入り込みでもしない限り、他者をその身に閉じ込める力は発動しないんだ。私や、他の者が“あの子”の中に“精神体”を閉じ込める事は出来ないんだよ」
「…… っ」
無言になったスキアの瞳がクッと大きく見開かれた。スキアは自ら進んで契約を結んだ身だ。暗に『つまりは自業自得だよ』と言われた様な気がする。
「だけど、体に入り込んだだけじゃまだ発動はしない。お互いに『逃がさない』『傍に居たい』って思い合って、惹かれ合でもしない限りはまだ逃げる事が充分可能なまでには、権能がもう消えているんだ」
「…… そう、か」と小さくこぼし、スキアが口元に手を当てて今さっき聞いた話を反芻した。何故か不思議と不快ではない。
「…… すぐにでも契約を反故すれば、まだ僕は、脱出は可能なのか?」
「うーん…… 。まぁ、今ならギリギリ可能だね。でももうあと一歩踏み出せば一生君は“あの子”の中から逃げられなくなるよ」
そう言って、レアンが椅子の背もたれに寄りかかった。契約関係でしかない“仮初の夫”であろうが、|“あの子”《ルス》の元から去ると決断するならば、すぐにでも自分が直接赴いてケアしてやらねばと考えている。
「まだ、あと一歩…… 」
ポツポツと呟き、スキアは視線を床に落とした。 少しの間の後。髪をくしゃっと乱暴に掻きむしり、スキアがレアンを睨む。
「あぁもう!くそっ!——本当に、なんだって“監獄の乙女”なんて者を創ったんだ!このままでは危うく脱走不能になる寸前だったし、持ち前の“善性”は猛毒みたいに強力だし、あの子の欲望に僕の感情まで引っ張られるしで良い事無しだ!」
今にもその場で地団駄でも踏みそうな顔を俯かせ、再びスキアが自分の髪を両手で掻きむしった。
「ん?」と言い、レアンが椅子の膝置きを掴んで前のめりになる。
「待って。あの子に、他人の感情に影響を与える様な能力は無いよ?もしそんな能力があると感じた事があったとしても、誰だって持っている程度の影響力しかないから——」まで言ったレアンの言葉を、スキアが「そんなはずは無い!」と大声で遮った。
「『どちゃくそ可愛い』とか『全てから守りたい』とか『傍から離れたくない』とか『自分のモノだ』とか、僕が自ら思うわけがないだろ⁉︎」
ほぼノンブレスの早口でスキアが吐き捨てた。真剣な顔で言っている様子の彼を前にしてレアンは、子供の成長っぷりを目撃した親の様な気分になっている。
「あー…… ごめんね。わかっていないみたいだからハッキリ言うけど、ソレは全部君自身の感情だよ」
軽くパニックになりながら必死にスキアが否定する。
このままでは何を言っても通じそうにない。そう思ったレアンは「…… うん。ちょっとお茶でも淹れようか」と提案したのだった。
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