テラーノベル
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――20■■年7月28日午後三時四十三分
東京都■■区 やすらぎセレモニーホール
「――ちょっとお手洗い行ってくる。そこのソファーで座って待ってて……」
相手が返事をする前に、うちは広いロビーの隅にある女性用トイレに向かって歩き出していた。そして、素知らぬ顔でその前を素通りし、廊下を小走り状態で進む。奥の非常出口からセレモニーホールの外へと出る。
ふと、空を見上げる。昨夜、東京に着いてからずっと降り続けていた雨はやんでいたけれど、空は相変わらず曇っていたし、空気は湿気ていて、どことなく生臭い。
背中のリュックを担ぎなおして、うちはその中身に声をかける。
「……ごめんな、マー君。そんな狭いところに押し込めて。絶対、ミサキさん――お母さんのとこに帰れるようにしたるから今は我慢したってな」
信号が赤から青に変わった。どことなく陰鬱な『通りゃんせ』のメロディーが鳴り、まばらに通行人が横断歩道を行き交い始める。
このまま、横断歩道の向こう側に渡れば。下唇を痛くなるほど噛みしめながら、うちは考える。多分、うちはこれまでと同じじゃいられなくなる。だけど、例えそうなったとしても、うちはあの子のために自分のできることをしてあげたい。
覚悟を決め、一歩前へと足を踏み出しかけた時だった。
「――キミカ」
背後からうちの名前を呼ぶ声が聞こえた。
怒気をはらんでいたり、恫喝するような声じゃない。どちらかと言えば穏やかで、できるだけうちを驚かせないよう気遣いさえ感じさせる声色だった。
だけど、それでも。まるで悪さをしているところを見咎められた小学生みたいにビクンと心臓が跳ね上がる音をうちは聞いた気がした。
振り返るとたった今、抜け出してきたばかりのセレモニーホールを背に天を突くような大男が立っていた。アクション映画の俳優みたいな精悍な顔立ち。今日のお葬式のために大急ぎで用意した喪服――、黒いスーツがその大柄な体格によく似合っている。
鳥羽リョウだ。うちの養家・塚森家と長い付き合いの隣人。塚森家がお仕えしている神社童ノ宮でも最古参の氏子。うちにとっても面倒見のいいお兄さんのような存在で、今回、お葬式に参加するためのうちの東京行きにも怪我を負ったお父さんに代わって同伴を買って出てくれていたのだった。
「お前、ずっと辛そうだったけど――、新幹線でこっちに向かっている間は特に様子が変だったからな」
リョウの口調はあくまでも穏やかだった。ただ純粋にうちの心配をしてくれていることがひしひしと伝わってくる。
「……ひょっとしてあの時から俺を出し抜く算段をしていたのか? もし、そうならもっと狡猾にやらなきゃな。こっちはこう見えて齢千年越えのジジィだぞ」
「……人聞きが悪いなぁ。ちょっと帰り道、間違えただけやん」
理不尽な苛立ちが込み上げ、うちは吐き捨てる。自分でもギョッとするくらい嫌な声。
「何の話かようわからへんけど――つまり、リョウはうちが悪だくみしてるって疑ってるんやね。傷つくわ」
不貞腐れた物言いをしながら支離滅裂だと我ながら思った。自分からコソコソ抜け出しておいて、疑ってるもなにもない。だけど、リョウは正直、ズルいと思う。こんなふうに明らかにうちが悪い場合でも声を荒らげたり、強い言葉で咎めたりしないから。
「疑っちゃいない。悪いが確信している」
やはり静かに言ってリョウが一歩近づく。冷や汗が一すじ、背中を伝い落ちるのを感じた。
「ちょ、近づかんといてや。大きい声出すで」
「お前、さっきミサキさんから何かを受け取っていたよな。……サイズ的にあの子の遺品、それに遺骨と遺髪ってところか」
バレてる……。冷や汗が出た。でも、なんで?
ギリギリまで誰にも、お父さんにもゼナ博士にも計画がばれないようあんなに気をつけていたのに。
「そりゃわかるさ。キミカは自分で思っているよりずっと素直だからな。顔に出てるんだよ、全部」
#和風ファンタジー
#異能
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「じゃ、じゃあ、みんな知ってて……」
「誤解するなよ。俺はお前が悪いことをしようとしているからって、叱ったり、否定したいわけじゃない。こういう言い方は卑怯だが、道を誤ることを踏み止ませるのは父親であるレイジの務めだ。……でも、俺の務めはそうじゃない」
「……だったら何なん?」
「だから、どうしても引けないって言うのなら――、まき込めって話だ。お前の悪だくみとやらに、俺をな」
思わずうちは息を飲んでいた。目の前でリョウが微笑んでいる。信じられないほど優しい微笑み。そこに一点の曇りもない。
それなのに、いや、だからこそ、うちは戦慄する。現世をさ迷う餓鬼たちは、自分達を決して焼かず、優しく照らしつけるだけの陽の光を何より恐れると聞いたことがあるけど、それがまさに今のうちだった。
「それで――具体的にはどうやるんだ? 源平合戦の前後で西行って坊主が反魂の術を試したって聞いたことはあるが、お前らと違って俺はそっち方面は疎いからな」
「――っさいねん」
「……キミカ?」
「うっさい言うてんねん!」
うちは叫んでいた。怒鳴ったつもりだったけれど、途中で声が裏返ってしまい、それは世にも情けない悲鳴になっていた。
「普段は口数少ないくせに急にペラペラしゃべんなや! これはうちの、うちだけが背負ったケガレや! あんたのちゃうねん!」
普段、あまり大きな声をあげることはないせいか、喉が裂けたらしい。口の中に微かな血の味が広がる。全身の筋肉が強張り、頭の中が火であぶれられたかのように熱くなっている。なのに芯は氷みたいに冷たい。その温度差に気が遠くなりそうだった。
一方、リョウは――金切り声を上げたうちの前で、リョウはみるみる表情を曇らせてゆく。その厳つい体躯には見合わない、子犬のような悲しげな瞳でうちを見つめていた。
たまらなくなり、うちはリョウから目を逸らす。
「キミカ、お前……」
「触んなって。今のうちに触れたらあんたまでケガレにやられるって言うてんねん」
自分でも寒気がするようなうなり声が出た。
「あの場におらんかったリョウにわかるわけない。……他の誰でもない。砕け散ったあの子の血、真正面から浴びたんはうちやねんから」
話すべきことは他に何も残っていなかった。リョウが何か言いかけていたが、かまわずその場を走り出す。
「おい、待て。お前、方向音痴なんだから――、迷子になったら帰って来れなくなるぞ」
惨めだった。これまで体験してきた数々の出来事が別に何てことはないって思えるぐらい、本当に惨めだ。不意に強烈な吐き気がこみ上げ、うちは走り続けながら両手で口を押さえていた。
流したくもない涙がボロボロと溢れ、風に乗って散っていった。
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