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別の日。雨上がりの朝だった。
昇降口の床がまだ湿っていて、靴底がわずかに鳴る。
日下部は、意識的に視線を上げなかった。
見なければ、確認せずに済む。
確認しなければ、確定しない。
(もう、十分だ)
そう思っているはずなのに、足は無意識に速度を落とす。
あの辺り。
いつも、蓮司が立っていた場所。
――いない。
胸の奥が、ひどく静かだった。
落胆でも、安堵でもない。
ただ、想定通りだったという感覚。
(……だよな)
誰に言うでもなく、そう思う。
教室に入ると、空気が違った。
ざわつきの向きが、変わっている。
「昨日さ」
「マジでやばかったよな」
主語のない会話。
名前を出さなくても通じる了解。
遥は、席に座っていた。
俯いている。
机に置いた手が、微かに震えているのが分かる。
(……見ない)
昨日と同じ選択を、今日もなぞる。
それが、一番波風を立てない。
そのとき。
「日下部」
名前を呼ばれて、肩が跳ねた。
反射的に振り返る。
蓮司だった。
久しぶりに、ちゃんと視界に入った。
何も変わっていない。
制服の着崩し方も、声の調子も。
ただ――
こちらを見る目に、意味がない。
「……何?」
声が、少しだけ上ずった。
蓮司は一瞬、考えるような間を置いてから言った。
「いや。特に用はない」
それだけ。
確認も、説明も、評価もない。
“呼んでみただけ”という温度。
(……あ)
その一言で、全部が確定した。
切られたのではない。
もう、最初から関係がなかったことにされた。
「そっか」
そう返すのが、精一杯だった。
蓮司はもう興味を失ったように、遥の方へ視線を向ける。
ほんの一瞬だけ。
「ちゃんと座れよ」
低く、穏やかな声。
叱責でもなく、命令でもなく、
“気にかけている風”の言葉。
遥の肩が、びくりと揺れた。
(……向こうだ)
全部、そっちに移った。
日下部は、その場に立ち尽くしたまま、理解する。
自分は排除されたのではない。
役割を終えただけだ。
だから責められない。
だから説明もない。
だから、声すらかけられない。
(綺麗すぎるだろ)
心のどこかで、そう思う。
――これが、蓮司のやり方。
何も壊さず、
何も汚さず、
人の立ち位置だけを、静かに入れ替える。
チャイムが鳴った。
誰も、日下部を見ていなかった。
それが一番、効いた。