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相談室のドアを開けた相談者は、入ってくるなり「別に大した話じゃない」と言った。
その言い方だけで、“大した話じゃないことにしてきた時間”の長さが分かる。
椅子に座っても、落ち着かない様子で視線が定まらない。
「始まる前に、やめる癖がある」
ぽつりとした声だった。
「部活もそうだったし、趣味もそう。
人付き合いも……たぶん、そう」
遥は何も言わず、続きを待った。
「楽しくなりそうだな、って思う瞬間がある。
でも、その直後にさ」
相談者は指先をぎゅっと握る。
「どうせ続かない、って考える。
どうせ飽きる。
どうせ失望する。
どうせ向こうが離れる」
言葉が、機械みたいに並んだ。
「だから、盛り上がる前に自分で下げる。
“別にそこまでじゃない”って言い聞かせて、距離を取る」
遥は低く息を吸った。
「失う前に、手放す」
相談者は小さくうなずく。
「そう。
期待しなければ、がっかりもしないから」
少し間が空く。
「……その代わり、何も残らないけど」
その言葉は、重かった。
学校でも、家でも、
特別な被害があったわけじゃない。
誰かに壊されたわけでもない。
ただ、何度か“うまくいかなかった”が積み重なった。
話が自然消滅した友人。
頑張ったのに評価されなかった経験。
好きだったものを、否定された記憶。
「一回一回は小さい。
でもさ、積み重なると」
相談者は言った。
「期待するほうが、馬鹿みたいに思えてくる」
遥は静かに答えた。
「それは、防衛だ」
相談者は少し驚いた顔をした。
「逃げじゃなくて?」
「逃げと防衛は、似てるけど違う」
遥の声は落ち着いていた。
「逃げは、怖いものから目を逸らす。
防衛は、これ以上傷つかないように身を引く」
相談者は考え込む。
「じゃあ……悪いことじゃない?」
「悪くはない」
遥は即答しなかったが、否定もしなかった。
「ただ、代償がある」
相談者は黙って聞いている。
「手放す癖がつくと、
“失う痛み”は減る。
でも、“得る実感”も消える」
相談者の喉が動いた。
「……最近、何やっても楽しくない」
「それは、感情を先に下げ続けた結果だ」
遥は言った。
「興味を持つ前に、冷めさせてきた」
相談者は苦笑した。
「自分で自分にブレーキかけてたんだな」
「無意識でな」
遥は続ける。
「この癖が厄介なのは、
周りから“無関心”“冷めてる”って見えることだ」
「……言われたことある」
「でも本当は、逆だ」
遥は視線を外さず言った。
「期待しすぎるくらい期待する人間だから、 先に手放す」
相談者の目が揺れた。
「期待してた、って認めるのが一番怖い」
「認めた瞬間、失ったときの痛みが確定するからな」
相談者は深く息を吐いた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
声に、少しだけ焦りが混じる。
「また期待して、また傷つけってこと?」
「違う」
遥は首を横に振った。
「全部を賭ける必要はない」
相談者は顔を上げる。
「半分でいい」
「半分?」
「好きになりきらない。
続けるかどうか決めない。
終わる未来も、続く未来も、どっちも残す」
遥は淡々と説明した。
「手放すかどうかを、最初に決めない」
相談者はしばらく黙ったあと、ぽつりと言った。
「……それ、怖いけど」
「怖いままでいい」
遥は言った。
「怖さがあるってことは、感情が戻ってきてる」
相談者は立ち上がる前、少しだけ姿勢を正した。
「失う前から手放してたの、
賢いと思ってた」
「賢さが、優しさになるとは限らない」
遥の言葉は、静かだった。
ドアが閉まる。
遥は一人になり、机の表面を見つめた。
守るために捨てたものは、
確かに自分を傷つけなかった。
でも同時に、
“何かを大切にする感覚”も、少しずつ遠ざけていた。
手放す癖は、生き延びる術だ。
ただ、それだけで生きていると、
世界はずっと、触れられない距離にある。
――取り戻すのは、期待じゃない。
「失ってもいいと思えるほど、何かに触れる勇気」だ。