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日下部の手のひらが、そっと遥の背中に触れる。ただそれだけのことが、遥の身体を震わせた。
最初は戸惑い。
次に、理解しきれない感情がこみ上げてくる。
その奥にあるのは、記憶の断片だった。
押さえつけられた手首。
息ができなかった瞬間。
心が、身体が、何度も裏切られた感覚。
今は違うのに。
今のこれは、そうじゃないのに。
それでも――遥は小さく肩をすくめた。
「……ごめん」
ぽつりとこぼれた言葉に、日下部は何も返さない。ただ、手を離さず、目も逸らさなかった。
遥がふらりと身を寄せる。
その距離は、懐かしさでも安らぎでもなく、ただひとつの問いかけのようだった。
「……なぁ、怖いんだ」
「なにが?」
「全部……全部だよ。信じるのも、預けるのも……優しくされるのも」
言葉の隙間から滲んだのは、ずっと積み重ねられてきた、“優しさのふりをした暴力”だった。
日下部は何も言わず、ただ抱きしめた。
腕の中で遥は小さく震えていた。
「……ほんとは、やさしいって、なに?」
日下部は答えない。
それがどれだけ無力に見えても、今はそれしかできなかった。
でも、それでも、遥はそこにいた。
逃げなかった。壊れなかった。
それが、ほんの少しだけ――彼らの進んだ距離だった。