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無名の灯 恋愛編

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無名の灯 恋愛編

29 - 第29話 触れることの代償

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2025年07月27日

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日下部の手のひらが、そっと遥の背中に触れる。ただそれだけのことが、遥の身体を震わせた。


最初は戸惑い。

次に、理解しきれない感情がこみ上げてくる。

その奥にあるのは、記憶の断片だった。


押さえつけられた手首。

息ができなかった瞬間。

心が、身体が、何度も裏切られた感覚。


今は違うのに。

今のこれは、そうじゃないのに。

それでも――遥は小さく肩をすくめた。


「……ごめん」


ぽつりとこぼれた言葉に、日下部は何も返さない。ただ、手を離さず、目も逸らさなかった。


遥がふらりと身を寄せる。

その距離は、懐かしさでも安らぎでもなく、ただひとつの問いかけのようだった。


「……なぁ、怖いんだ」


「なにが?」


「全部……全部だよ。信じるのも、預けるのも……優しくされるのも」


言葉の隙間から滲んだのは、ずっと積み重ねられてきた、“優しさのふりをした暴力”だった。


日下部は何も言わず、ただ抱きしめた。

腕の中で遥は小さく震えていた。


「……ほんとは、やさしいって、なに?」


日下部は答えない。

それがどれだけ無力に見えても、今はそれしかできなかった。


でも、それでも、遥はそこにいた。

逃げなかった。壊れなかった。

それが、ほんの少しだけ――彼らの進んだ距離だった。


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