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放課後の相談室は、いつも少しだけ静かすぎる。
廊下のざわめきが嘘みたいに遠くて、ドアを閉めると音が一段落ちる。
椅子に座ったまま、しばらくどちらも口を開かなかった。
先に沈黙に負けたのは、相談者のほうだった。
「……優しくされるとさ、逃げたくなるんだけど」
自分でも変だと思ってる、という言い方だった。
笑おうとして、途中でやめる。
日下部はノートを閉じて、相手を見る。
すぐに何か言うでもなく、ただ待つ。
「別に嫌いとかじゃない。むしろ、ありがたいって思う。でも、急に距離詰められると、体が先に引く」
指先をぎゅっと握る。
「“大丈夫?”とか、“無理しなくていいよ”とか言われるとさ。なんか……それ以上、近づかれたら壊れる気がして」
日下部は、少し考えてから言った。
「逃げるの、反射みたいな感じ?」
「うん。考える前に。近づいたら、期待しちゃうだろ。で、期待したら……」
言葉が途切れる。
日下部は続きを急がせなかった。
代わりに、ぽつりと置く。
「裏切られたら、立て直せない気がする?」
その一言で、肩がわずかに揺れた。
「……そう。前にさ、優しくされたことがあって。その時は、“あ、大丈夫かも”って思ったんだよ」
一瞬だけ、目線が遠くなる。
「でも結局、向こうは軽い気持ちで。俺だけ本気になって、勝手に傷ついて」
空気が重くなる、というより、沈む。
「だから今は。優しくされる前に、離れたほうが楽」
日下部は、机に肘をついたまま、少し首を傾けた。
「それ、逃げじゃないと思う」
即答ではなかった。
ちゃんと選んだ言い方だった。
「身を守るやり方だろ。一回、ちゃんと痛い目見てる」
相談者は驚いたように顔を上げる。
「……でもさ。欲しくないわけじゃないんだよ」
その声が、一番小さかった。
「本当は、誰かにちゃんと近づいてほしい。でも、それでまた壊れるのが怖い」
日下部は視線を外して、窓のほうを見る。
「欲しいって思えるだけ、まだ終わってない」
少し間が空く。
「完全に諦めてたら、怖くもならない。 期待しないのが一番楽だから」
それから、ゆっくり視線を戻す。
「逃げるのが悪いわけじゃない。
たださ」
一拍。
「“逃げてる自分”まで嫌いになる必要はない」
相談者は、唇を噛む。
「……でも、距離取ったら。冷たいって思われるかも」
日下部は肩をすくめる。
「思う人はいるだろ。
でも、それで全部壊れるなら
最初から、ちゃんと見てない」
強くも弱くもない声だった。
「近づけない時期があるのは、普通だ。
優しさが怖いのも、普通」
しばらく沈黙。
「……じゃあさ。
いつか、逃げなくなる日くると思う?」
日下部はすぐには答えなかった。
少し考えてから言う。
「逃げなくなる、じゃなくて
逃げてもいいって思えるようになる」
「え」
「怖くなったら離れて
落ち着いたら、また一歩戻る。
それでいい」
相談者は、少しだけ息を吐いた。
「……それ、ズルくない?」
日下部は、ほんの少しだけ口角を上げる。
「生き方としては、だいぶ真面目だと思うけど」
笑いが、ほんの一瞬だけ落ちた。
大きくは変わらないけど、さっきより呼吸が深い。
「優しさが怖いなら怖がりながら受け取ればいい」
日下部は、そう締めくくった。
「欲しいって気持ちまで、捨てなくていい」
相談室の外から、部活の声が響く。
日常が戻ってくる音だった。