昔を思い返していたカイルはそこでハッとした。
目の前には先程と変わらない美しい夜景が煌めいていた。
そしていつの間にかカイルの前には食後のデザートとコーヒーが置かれている。
カイルは夜景を見つめながらコーヒーを一口飲むと、何かを決意したようにうんと頷いた。
翌日カイルは思い出の地を目指した。
今回宿の予約を取る際にカイルは偽名を使っていた。
ありのままの名前で予約を入れたら、さくらが気付いて逃げてしまうかもしれない。
そう思ったカイルはあえて友人の名前で予約を入れた。
さくらとの別れの後、カイルはアメリカから何度もさくらにメールを送った。
しかしさくらから返事が来る事はなかった。
それでも諦めずにカイルは根気よく何度も何度もメールを送り続ける。
すると漸く一通だけさくらからのメールが届いた。
メールに書かれてあったのは、さくらはこれから見合いをして結婚をするという内容だった。
結婚後は夫と共に旅館を継ぐとも書いてあった。
それを見たカイルはショックを受ける。
もしかしたらその内容はカイルを諦めさせる為の嘘のメールかもしれない…カイルにはそう思えた。
しかし一方でこんな風にも思った。
これ以上さくらにメールを送り続ける事はさくらを苦しませてしまうかもしれない。
さくらを悲しませる事はしたくない。
そこでカイルはもうこれ以上メールを送るのはやめようと思った。そしてさくらへ最後のメールを送る。
【さくら。素晴らしい思い出をありがとう。君と過ごした5日間は僕の人生で最良の日々だったよ】
今、14年の時を経てカイルはさくらに会いに行こうとしている。
もしさくらに夫や子供がいたら、古い友人として会う覚悟も決めていた。
そうまでしても、カイルはもう一度さくらに会いたかったのだ。
ガタンゴトン
揺れる列車の中でカイルは過ぎゆくのどかな景色をじっと見つめ続けた。
そして漸く思い出の秘境駅へ降り立ったカイルは、あの日と同じように宿へ電話を入れる。
「今日予約しているジョンソンですが、迎えをお願いしてもいいですか?」
「ジョンソン様ようこそお待ちしておりました。では今からお迎えにあがりますので駅前で少々お待ち下さいませ」
あの時と同じように旅館のスタッフの感じの良い応対が返ってくる。
カイルは逸る気持ちを押さえ、ベンチで迎えの車を待った。
駅前の景色はあの頃とほぼ同じだった。
少し変わった事といえば、以前は1台だった軒下の自動販売機が2台に増えている。
それ以外はほとんどあの頃と変わらなかった。
車の音が聞こえたのでカイルが顔を上げると、駅前のロータリーに一台の白いバンが入って来た。
車を運転しているのは40歳前後の男性だった。
(まさか、さくらの夫?)
カイルは緊張しながら男性が車から降りて来るのを待つ。
「ジョンソン様お待たせいたしました。さ、お車へどうぞ」
とても感じの良い男性だった。
男性が後部座席のドアを開けてくれたのでカイルは「ありがとう」と言って車に乗り込む。
そして車は走り始めた。
宿へ向かう車の中で男性はカイルに言った。
「こちらへは観光で?」
「はい、そうです」
「日本語がお上手な方で助かりました」
「父が日本人なので日本語は大丈夫ですよ」
「それはそれは恐れ入ります」
男性は照れたように微笑んでから、明日辺りがちょうど桜が満開だと教えてくれた。
見覚えのある懐かしい道はまるで時が止まったかのように昔と変わらないままだった。
カイルはあの時の事を思い出しながら懐かしい風景をじっと見つめる。
間もなく車は思い出の宿へ到着した。
カイルが車を降りると宿の入口に中学生くらいの男児が立っていた。
少し大きめのダボダボの制服を着て真新しい鞄を手にしている。この春入学したばかりの新一年生だろうか?
その時、奥に停まっていた車から一人の女性が出て来た。女性は薄ピンク色のスーツを着ている。
西日が差して顔はよく見えなかったが、女性は男児の傍へ行くと二人で宿へ入って行った。
(宿泊客?)
カイルはそう思いながら運転していた男性に案内され宿の中へ入って行った。
入った途端声が聞こえてきた。先ほどの男児がフロントで話しをしているようだ。
「海里(かいり)君お帰り。入学式はどうだった?」
フロントの女性スタッフが男児に聞いている。
「退屈だったけれど寝ないで頑張ったよ」
「こらこら、入学早々寝たらダメだぞー。もう中学生なんだから」
今度はフロントの男性が笑いながら言った。
そして男性は男児と一緒にいた女性にも声をかける。
「さくらさん、今日は海里君の入学祝いなんでお夕飯は宿のお食事をご用意しますよ」
「山田(やまだ)君助かるーありがとう! 久しぶりにヒールなんて履いたからもう足が痛くてクタクタよぉ」
女性は笑いながら言った。
(さくら?)
その名前を聞き思わずカイルの足が止まる。そして胸に熱いものがこみ上げてきた。
その時フロントの女性スタッフがカイルに気付いて声をかけた。
「いらっしゃいませ!」
その声に他の三人が振り返る。その瞬間さくらの視線がカイルを捉えた。
さくらはかなり驚いていた。もちろんすぐにカイルの事がわかったようだ。
しかし何も言えないままじっと立ちすくんでいる。
そしてさくらの瞳にはみるみると涙が溢れてきた。涙はすぐに頬を伝う。
涙が頬を伝い始めてもさくらは動けずにそのままの姿勢でいた。
そんな母親に向かって男児が言った。
「お母さんっ、お客様だよっ」
その時カイルは真正面から男児の顔を見た。
驚いた事に男児の顔つきはカイルの子供時代にそっくりだった。
ライトブラウンの髪
ハニーブラウンの瞳
ほんの少し癖のある髪質
すらりとした体型もカイルの子供時代と瓜二つだった。
その時カイルはハッと気付く。
気付いた瞬間カイルはさくらの元へ駆け寄るとさくらをギュッと抱き締めていた。
抱き締められた瞬間さくらもカイルにしがみつく。そしてさくらは大声を出して泣き始めた。
その声はとても切ない声だった。
(何て事だ! 僕はなんて馬鹿な事をしたんだ…)
カイルの瞳にも涙が溢れていた。泣きながらカイルは自分の行いを悔やんでいた。
なぜ自分はもっと早く日本に来なかったのかと。
その場にいたスタッフはカイルの正体がすぐにわかったようだ。
なぜなら海里とカイルの顔がとてもよく似ていたからだ。誰が見ても明らかにわかるだろう。
しかし海里だけは何が起こっているのかわからずにキョトンとしたまま二人を見つめている。
そこで女性スタッフが海里にそっと耳打ちした。
「あの人はきっとあなたのパパよ」
女性スタッフはニッコリ笑って海里にウインクをした。
翌朝、カイルとさくらはあの山里へ来ていた。
海里が中学校へ登校した後、二人で思い出の地を訪れていた。
二人はしっかりと手を繋ぎ目の前に広がる幻想的な風景を眺めていた。
昨夜二人は夜遅くまで話をした。
カイルがアメリカへ帰った後さくらの妊娠がわかった事。
さくらが産むと言った時両親は猛反対したが、生まれた海里を見て結局は受け入れてくれた事。
そして両親はさくらと共に孫である海里の事を大切に育ててくれたとさくらは言った。
さくらの父は二年前に病気でこの世を去った。
その後さくらは母親と二人でこの旅館を経営している。
小さかった海里もこの春中学校へ入学した。
『海里』と名付けた理由は発音がカイルに似ていたから。
そしてカイルとさくらを隔てる大きな『海』と、さくらがこよなく愛する『花霞の里』の文字を使ったとさくらは教えてくれた。
カイルは目の前に広がる『花霞』を感慨深げに見つめながら穏やかに言った。
「さくら、僕は日本へ移住する事に決めたよ。これからは息子の傍で君と一緒に成長を見守りたいんだ」
さくらは嬉しそうにうんと頷くとカイルの首に両手を回して甘えるように抱き着いた。
満開の桜の花は、あの時と同じように霞のように薄ピンク色に滲んでいる。
そんな美しい花霞に見守られながら二人は再びこの場所で唇を重ねた。
『花霞の里』は14年の時を経ても変わらぬ美しさのままそこに存在していた。
そして二人の愛もあの時と同じまま色褪せる事なくそこに存在しているのだった。
<了>
*中島美嘉『桜色舞うころ』を聴いて思い浮かんだ小説です*
コメント
15件
久しぶりに読ませていただき、幸せに浸っております😢♥️ 素敵なお話、ありがとうございました🌸✨
読み終わった後、幸せな気持ちになりました💞
う〰️ん!やっぱり切な過ぎた💧