「……俺、すぐ怒っちゃうんです」
 椅子に腰を下ろした少年は、落ち着かない様子で両手を握ったり開いたりしていた。
 遥は机に肘をつき、じっと彼を見ていた。
 「どんなとき?」
 「からかわれたり、バカにされたり。ほんのちょっとしたことでも、胸の奥が熱くなって、頭が真っ白になる。抑えようとしても……拳を握っちゃって、あとで自己嫌悪になるんです」
 遥は短く鼻から息を吐いた。
 「殴ったりした?」
 「……一回。机を。そしたら余計に笑われて。負け犬みたいだって」
 少年の声は震えていた。怒りと悔しさと、恥ずかしさが混ざりあった震えだった。
 遥はゆっくりと、右手の甲を見下ろした。薄い痕がまだ消えない。昨日、壁に叩きつけられた跡。自分のじゃない拳でつけられた傷。
 「……怒るのは、負けじゃない」
 「え」
 「俺だって毎日、腹の中ぐちゃぐちゃだよ。ムカつくことなんか山ほどある。……でも、殴り返したら終わる。もっとひどいことになるの、知ってるから」
 「じゃあ、耐えるしかないんですか」
 少年の声は刺すようだった。怒りの行き場を求めて、遥に突き刺さってくる。
 遥は少し視線を落とした。
 「……怒りってさ、たぶん武器なんだよ。本当は。俺たちが”嫌だ”って言うための。だけど、使い方を間違えると、自分に突き刺さる。だから、俺は今んとこ、ずっと飲み込んでる」
 少年は唇を噛んだ。
 「飲み込んだら、苦しいままじゃないですか」
 「苦しいよ」
 遥は淡々と答えた。
 「でもさ、苦しいからって爆発したら、結局、俺のほうが壊れる。……だから俺は、いつかほんとにここぞってときのために、怒りを残してるんだと思う」
 「ここぞ、って」
 「まだ来てないけどな」
 遥は少しだけ笑った。
 「怒れるってのは、生きてる証拠だ。無関心でいられるより、ずっと人間らしい。……だから、今は自分を嫌いにならなくていい。怒りを持ってる時点で、ちゃんと生きてるってことだから」
 沈黙が落ちた。少年は視線を落とし、机の木目をじっと見つめていた。
 「……生きてる証拠、か」
 遥は頷いた。
そして心の中で、言葉をのみこんだ。
 ――もし俺が本気で怒りを使ったら、きっとすべてが終わる。だから俺はまだ、耐えてる。
 
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