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エンジンをかける前の、数秒の静けさ。
アレクシスはハンドルに手を置いたまま、横を見た。
真白は助手席でシートベルトを引いている。
少しだけ力が強い。
カチ、と音がする。
「寒い?」
何気なく聞く。
「別に」
短い返事。
でも、指先が赤い。
さっき外にいたせいだ。
暖房を少し上げる。
何も言わずに。
真白は窓の外を見ている。
夜の街灯が、横顔を流れていく。
アレクシスは、その横顔を知っている。
疲れているときの目。
考え込んでいるときの沈黙。
「今日、長かった?」
「まあ」
「詰まってた?」
「うん」
それ以上は言わない。
言わなくても分かる部分と、分からない部分がある。
信号で止まる。
赤い光が車内に差し込む。
真白の睫毛に影が落ちる。
少しだけ伏せ目。
「眠い?」
「ちょっと」
「寝ていい」
「起きてる」
頑なな言い方。
少しだけ笑いそうになる。
青になる。
車を出す。
ラジオはつけない。
音はエンジンとタイヤだけ。
アレクシスは思う。
隣にいるときの真白は、少し静かだ。
会社にいるときより。
誰かと話しているときより。
それが、安心なのか。
甘えているのか。
どちらでもいい。
次の信号でまた止まる。
真白が、不意に言う。
「……今日さ」
「うん」
「ちょっとだけ、やだった」
珍しい言い方。
具体的じゃない。
「何が?」
「うまくいかない感じ」
短い。
でも、十分。
「そっか」
それだけ返す。
解決策は出さない。
励ましも、深追いもしない。
ただ、暖房をもう少し上げる。
真白はそれに気づいて、少しだけ視線を寄越す。
「暑い」
「寒いって顔してた」
「してない」
「してた」
少しだけ、口元が緩む。
家の前に着く。
エンジンを止める。
静けさが戻る。
真白はシートベルトを外しながら言う。
「……ありがと」
「何が」
「送ってくれて」
当然のことだ。
でも、ちゃんと言う。
「うん」
真白はドアを開ける。
外の冷たい空気が入る。
降りる前に、少しだけこちらを見る。
一瞬。
その目は、さっきより柔らかい。
ドアが閉まる。
助手席が空になる。
アレクシスは、数秒だけそのまま座っていた。
さっきまであった体温が、まだ残っている気がした。