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「……優しくされるとさ」
言い出した瞬間、喉が少し詰まった。
「逆に、距離取りたくなる」
日下部は、すぐに反応しなかった。
机の上の消しゴムを指で転がしながら、続きを待つ。
「なんでだと思う?」
自分で聞いて、自分で困る。
「……期待しちゃうから」
「うん」
「で、そのあとが怖い」
日下部は小さく頷いた。
「裏切られる?」
「……うん」
「壊れる?」
「それも」
声が自然と小さくなる。
「近づいたらさ。
大事になる気がして。
大事になったら、失ったときに耐えられない」
言い切ったあと、少し笑ってごまかす。
「変だよな」
「変じゃない」
日下部は即答だった。
「それ、経験則だろ」
胸が少しだけ跳ねる。
「……まあ」
「一回じゃないな」
「……」
否定しなかったのを見て、日下部は続ける。
「優しさってさ。
安全なときは、救いだけど、
余裕ないときは、刃になる」
「刃?」
「刺さるだろ」
思い当たる節が多すぎて、苦く笑う。
「ちゃんとされるほど
ちゃんと返せない自分が浮き彫りになる」
「……それ」
「うん?」
「一番しんどいやつ」
日下部の声は低かった。
でも突き放す感じはない。
「優しくされて
嬉しいはずなのに
逃げたくなるのは」
一拍置く。
「欲しかった証拠だ」
その言葉に、息が止まる。
「……は?」
「いらなかったら、怖くならない」
日下部は淡々と言う。
「どうでもいい相手の優しさって
別に、距離取ろうとか考えないだろ」
確かに、と思ってしまう。
「怖いってことはさ。
期待してるし
信じたいし
失いたくない」
言葉を一つずつ置くみたいに。
「でも、同時に
“どうせ失う”って知ってる」
胸の奥が、じくっと痛む。
「だから逃げる」
「だから逃げる」
日下部は、こちらの言葉をなぞった。
「逃げるのは、冷たいからじゃない。
守りたいものがあるから」
「……自分?」
「それもあるし」
少し考えてから。
「“また同じ痛みを繰り返す自分”をな」
沈黙。
それは、誰にも言語化してもらったことのない感覚だった。
「じゃあさ」
恐る恐る聞く。
「逃げるの、やめた方がいい?」
「無理」
即答。
「急に近づけるなら、とっくにやってる」
「……だよな」
日下部は、少しだけ姿勢を変えた。
「逃げたくなったら 自分を責めるな」
「でも」
「“欲しかったんだな”って認識しろ」
「欲しかった」
「それだけで、十分だ」
一瞬、目が熱くなる。
「近づけなくても
受け取れなくても
欲しいって思えた時点で」
日下部は、少し不器用に言葉を選ぶ。
「お前は、ちゃんと人に向いてる」
強い肯定じゃない。
でも、否定もしない。
「……距離取っちゃったら?」
「取ればいい」
「嫌われるかも」
「それで終わる関係なら」
一拍。
「最初から、全部は渡してない」
その言い方は現実的で、でも残酷すぎなかった。
「逃げた自分を 裏切りだと思うな」
日下部は最後に言った。
「怖がったってことは
本気だったってことだ」
沈黙が落ちる。
でもそれは、さっきよりも少し、あたたかかった。
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