テラーノベル
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少女が帰ったあと、相談室に静けさが戻った。時計の針の音がやけに響く。 遥は机に置いたままのペンを手に取り、しばらくじっと見つめていた。
「……優しい、か」
声に出してみると、途端に胸の奥がざわついた。
優しい人。――それは遥にとって、ずっと遠い存在だった。
家では「お前は冷たい」と言われ、学校では「無関心だ」と責められた。
けれど本当は、助けたい相手なんて最初からどこにもいなかった。友達なんていなかったし、殴られるのも自分だけだった。
――誰かの涙に手を伸ばす機会すらなかった。
――ただ、自分が殴られる音と、自分の中で壊れていく音だけを聞いてきた。
それでも「冷たい」と言われた。
本当はただ、余裕なんて一度もなかっただけなのに。
「俺は……違うよな」
吐き捨てるように呟いて、机に突っ伏した。
けれど、すぐに別の声がかすかに浮かぶ。
――でも、それでもお前は人の言葉を聞いてるじゃないか。
――誰かが孤独を吐き出す場所を、ここに作ってるじゃないか。
遥はゆっくりと顔を上げた。自分のやっていることが「優しさ」かどうかは、やっぱりわからない。誰かを救った実感もない。ただ、ほんの少しでも「隣にいる」ことができているなら、それでいい。
「俺は……優しいふりしかできない。でも、それでもいいか」
そう言って、ペンをノートに走らせる。
今日の相談者の言葉を、短く書き留める。
「本当に優しい人って、どういう人なんだろう」
――答えは出ていない。けれど、その問いを残しておくこと自体が、遥にとっては前に進むことのように思えた。
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