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出勤前、エレベーターの鏡に映る自分を見る。メイクは問題ない。クマも、ちゃんと隠れている。これで今日も大丈夫だと思える顔。
「最近どう?」
黒服に聞かれて、「普通」と答える。これ以上便利な言葉はない。
席に出ると、いつもの流れ。乾杯して、笑って、話を聞く。内容は覚えていなくても、感情の温度だけは残る。楽しかったとか、疲れたとか、それくらい。
休憩中、ロッカーの前で立ち止まる。さっき辞めた子の場所が、もう空いている。何日かすれば、別の子が使う。それだけのこと。
「まだ続けるの?」
唐突に聞かれて、少し驚く。さっきまで隣にいた女の子だ。
「うん」
即答だった。
「理由ある?」
少し考える。夢があるわけでも、稼ぎたい目標があるわけでもない。
「辞める理由が、ないから」
そう言うと、彼女は笑った。
「それ、一番リアル」
戻ってきた席で、客が言う。
「無理しなくていいよ」
まただ、と思う。気遣いの言葉なのに、どこか他人事。
私は無理をしていない。少なくとも、自分ではそう思っている。笑えるし、仕事は回せる。泣き出すほど追い込まれてもいない。
だから辞めない。
終電前の電車に乗りながら考える。昼の仕事を探す気力も、新しい生活を作る覚悟も、今はない。ここにいれば、今日の分の役割は与えられる。
必要とされている感覚が、毎日ちゃんと用意されている。それは、楽だ。
誰かに選ばれて、誰かの話を聞いて、時間が終わる。深く考えなくていい場所。
辞めない理由は、弱さだと思う。でも、それだけじゃない。
この仕事をしていると、いろんな人の境目を見る。壊れる手前、踏みとどまっているところ、もう戻れないところ。その中で、自分がどこに立っているのかを、毎日確認できる。
私は、まだこちら側だと思えている。
それが、続けている理由。
明日もドレスを着る。いつか辞めるかもしれない。でも、今日じゃない。それだけは、はっきりしていた。