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倉庫の鍵が外から閉まる音がした。それだけで、胸の奥がひゅっと冷たくなる。
床には、湿った埃の匂い。
夕方の光が差し込む隙間はほとんどなく、わずかに壁の隙間から風が鳴る。
――「あいつ、うちの弟と話してたらしいな」
最初にそう言ったのは結城だ。
笑っていたが、その目の奥は、笑っていなかった。
「何を話した?」
「別に」
「“別に”で済むか?」
その瞬間、後ろから押されて、遥は壁に背中を打ちつける。
痛みよりも、その冷たい音のほうが、心に突き刺さった。
「お前さ、自分が何をしたかわかってる?」
「……」
「触れるなよ、あいつに。汚れるから」
「汚れる」――その言葉の意味を考えたくなかった。
だが周囲の空気がそれを押しつけてくる。
一人が笑い、もう一人が囁く。
「結城の弟に手ぇ出したんだろ?」
「お前なんかが、関わっていい相手じゃねえんだよ」
笑い声がいくつも重なり、空間の温度が下がっていく。
誰かが言った。
「もう出てこなくていいよ。しばらくここにいろ」
外から、錠前の金属音が鳴った。
それがすべてだった。
静寂の中に残された遥は、
壁に背を預けながら、
耳の奥で“笑い声の残響”を何度も聞いた。
冷たい空気が肌を刺す。
息が白くなっても、時間の流れがわからなかった。
外で何かが動く音がしても、それは自分とは関係のない世界のことのように思えた。
――“汚れる”
その言葉だけが、耳の奥で何度も響いた。
夜が来た。
窓もない倉庫の中で、それを知らせるのは、空気の温度がゆっくりと落ちていく感覚だけだった。
壁の向こうを車が通る音。
遠くで犬が吠える声。
それらが次第に遠のいて、世界から音が消えていく。
寒い。
でも、動く気力がなかった。
立ち上がれば、出口の鉄扉があるのはわかっている。
けれど、何度試しても開かないその扉を見つめるうちに、
“開かないもの”を前にして動くことそのものが無意味に思えてくる。
足元の埃が、息を吸うたび喉に張りついた。
身体がだんだん冷えていく。
それなのに、頭の中だけが妙に熱い。
――結城の声がまだ残っている。
「触れるなよ、あいつに」
その声が、夜の静寂よりも冷たく感じた。
笑われた。
踏まれたわけでも殴られたわけでもないのに、
心臓の奥を削られるような痛みが広がっていた。
壁に背を預けて、膝を抱える。
目を閉じても、笑い声が消えない。
結城の弟の顔が浮かんだ。
柔らかく話してくれたのに。
あれは、いけなかったのだろうか。
話しかけられただけで、罪になるのか。
その考えに、答えが出る前に、
涙が頬を伝っていた。
自分でも気づかぬうちに、
泣くという行為を思い出したように。
どれくらい時間が経ったのかわからない。
夜の気配が深まるにつれて、
外の世界の存在が薄れていく。
遠くで時計が鳴ったような気がしても、それが現実かどうかも曖昧だった。
倉庫の隙間から吹き込む風が、髪をなでていく。
その冷たさだけが、生きている証のようだった。
――自分は、まだ、ここにいるのか。
それすら確かめるように、
指先を動かして、壁を触った。
ざらついた感触が、現実をかろうじて留めてくれる。
息を吸って、吐く。
その音が、誰かの声のように聞こえた。
「……もう、いい」
かすれた声が、自分のものだと気づくまでに、数秒かかった。
そしてまた、静寂が戻ってきた。