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営業前。
更衣室には、ドライヤーの音と誰かの笑い声が混ざっていた。
私はロッカーを開けて、ドレスを取り出す。
鏡の前に立つ。
髪を巻いて。
メイクを整えて。
夜の自分を作っていく。
昼とは違う。
それでいい。
それが仕事だから。
「ナナ」
振り向く。
ミオだった。
「今日も出勤?」
「うん」
「昨日休みだったよね」
「そう」
「いいなあ」
ミオは大きく伸びをする。
「私は今週ずっといる」
「無理しないでね」
「ナナが言う?」
笑われる。
「ナナの方が無理してるじゃん」
私は笑って流した。
「そんなことないよ」
「あるって」
ミオは言い切る。
「休める日に休みなよ」
返事をしないまま、更衣室を出る。
フロアには、まだ誰もいない。
照明だけが先に夜になっていた。
開店から一時間。
「ナナ」
黒服が声をかける。
「高槻様、ご指名です」
「はい」
席へ向かう。
「こんばんは」
「こんばんは」
高槻さんはいつも通り笑う。
「昨日は休みだった?」
「はい」
「何してたの?」
「散歩です」
嘘ではない。
「一人で?」
少しだけ間が空く。
「……そうですね」
言い切れなかった。
でも、高槻さんはそれ以上聞かない。
「散歩いいよね」
「好きなんですか?」
「考え事するとき歩く」
「考え事、多いんですか?」
「最近はね」
笑いながら答える。
その笑顔は軽い。
でも、どこか少しだけ考え込んでいるようにも見えた。
「ナナちゃんって」
「はい?」
「休みの日も、仕事のこと考える?」
私はグラスに氷を入れる。
カラン、と音が鳴る。
「どうでしょう」
少し考える。
「考えないようにはしてます」
「できてる?」
「半分くらい」
「半分か」
高槻さんは笑う。
「俺なら無理だな」
「切り替え苦手ですか?」
「苦手」
即答だった。
「仕事終わっても、今日ああ言えばよかったとか、考えちゃう」
私は思わず頷く。
「分かります」
「ある?」
「あります」
「意外」
「意外ですか?」
「ナナちゃん、全部うまくやってそうだから」
私は苦笑する。
「そんなことないですよ」
「じゃあ失敗もする?」
「毎日します」
「見えない」
「見せないので」
その一言に、高槻さんは少し黙った。
「そういうところ」
「え?」
「見せないところ」
私は返事ができなかった。
そのとき。
入口の自動ドアが開く。
黒服が足早に入口へ向かう。
「いらっしゃいませ」
私は反射的にそちらを見る。
見覚えのある後ろ姿だった。
静かに店内へ入ってくる。
その人は周りを見回すこともなく、いつもの席へ案内されていく。
私は軽く会釈をした。
向こうも小さく頷く。
それだけ。
「目で追っちゃった」
高槻さんが小さく笑う。
「……見えました?」
「一瞬だけね」
私は何も言わず、グラスに氷を足した。
否定しようと思えばできた。
でも。
あの一瞬だけは、自分でも隠せなかった気がした。
コメント
1件
第51話、読み終えました。 ナナが「夜の自分を作っていく」冒頭の描写から、もう引き込まれました。ミオから「無理してる」って言われても笑って流すところ、分かるなあ…。高槻さんとの会話で「見せないところ」を指摘されて言葉を失う瞬間、すごくリアルでした。そして最後の「見覚えのある後ろ姿」、自分でも隠せなかった一瞬、すごく気になる…次が読みたいです。