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#親子愛
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翌朝、クリストルンはひどい顔で出社した。
寝不足のせいだけではない。月椿堂を出るとき、モンジェはいつも通り「弁当持ったか」としか言わなかった。昨夜の札のことも、嫁入り道具のことも、何一つ続きがないまま朝になってしまったのだ。
企画部の朝礼を終えたあと、今日は工場見学に回された。
成形、縫製、検品、梱包。玩具が店頭に並ぶまでの工程を、エマヌエラの案内で一つずつ見ていく。作業の正確さに見とれながらも、クリストルンの頭の片隅では、父の背中が消えない。
「顔色、悪いわよ」
エマヌエラが小声で言う。
「少し寝不足です」
「少し、ね」
見抜かれている声だったが、それ以上は聞かなかった。
午後、子ども向け試作品の使用テストに立ち会う。
会議室を改装した観察室には、親子が何組か招かれていた。机の上には、まだ商品名も決まっていない試作玩具が並んでいる。
クリストルンは壁際でメモを取っていた。
そのとき、一人の幼い男の子が、ドアのほうばかり見ているのに気づく。父親は離れた位置で仕事の電話に追われ、何度もうなずきながら窓際を行ったり来たりしていた。
「うん、今は無理です。会議が……いや、家族の用事で……」
男の子は試作品にも触らず、ただ父親の背中を見ている。
やがて小さく口を開いた。
「ねえ」
電話の声にかき消される。
もう一度。
「ねえ、パパ」
それでも届かない。
そして三度目に、ほとんど泣きそうな声でつぶやいた。
「……こっちを見て」
その言葉は大きくなかった。
なのに、クリストルンの胸のいちばん柔らかいところに、まっすぐ刺さった。
父親はようやく振り向き、慌てて電話を切る。
「あ、ごめん。ごめんな」
男の子は怒るでもなく、ただ黙って父親の袖をつかんだ。
クリストルンの指が、メモ帳の上で止まる。
こっちを見て。
昨夜、自分も似た気持ちでモンジェを見ていた。
聞いてほしい。話してほしい。ちゃんとこっちを見てほしい。
親も子も、近くにいるのに、言葉が届かないことがある。
ルチノが通りかかり、メモの止まった彼女に気づいた。
「どうした」
「……今、すごく大事な言葉を聞いた気がします」
「言葉?」
「はい」
クリストルンは、胸ポケットのリボンを無意識に握る。
布のやわらかさが、かえって痛かった。
もし玩具が、この言葉を代わりに渡せたなら。
泣く前に、すれ違う前に。
親にも子にも、ほんの一言を届けられたら。
その考えが、初めて、はっきりした形を持った。