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「はっ……はあ?」
夏帆は思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
どうやら、彼女が座っていたベンチのすぐ後ろで、その男は寝そべっていたらしい。
男は両腕を頭の上に伸ばし、大きなあくびをしてから、夏帆に向けて屈託のない笑顔を浮かべた。
その無防備な笑顔に、夏帆の胸がどきりと跳ねる。
年の頃は三十代半ば。
ラフなスパイラルパーマの髪がゆるく揺れ、額にかかる前髪が妙に色っぽい。
前髪の隙間から覗く瞳は吸い込まれそうなほど大きく、彫りの深い輪郭、口元の無精ひげが野性味と色気を添えている。
――かなりハイスペックなイケメンだ。
柔らかな声色も、女性の心をくすぐるように魅力的だった。
ただし、服装は全身有名なアウトドアブランドで揃えているものの、どれも少しよれていて、かなり小汚い。
(ホームレス? ううん……体臭はしないし、ホームレスが高級な“peak hunt5”なんて着るわけないか)
夏帆が目を見開いていると、男性は再びにっこり笑った。
「あれ? 引っ越すんでしょ? だったら、まずは不動産屋だよね。おねーさん美人だから、変なところ行って騙されたら困るし、ちゃんと信用できる不動産屋に行った方がいいよ」
「は……はあ……」
うろたえる夏帆の胸の内では、
(いきなり声かけてきたあんたの方が、よっぽど信用できないんだけど!)
と、強烈なツッコミが響いていた。
しかし、そんな夏帆の心の声などまるで聞こえていない様子で、男は手を差し出して言った。
「教えてあげるから、メモ用紙とペン貸して!」
突然の申し出に「結構です」と断ろうとしたが、男性が妙に急かすので、仕方なく手帳を一枚破り、ペンと一緒に渡した。
男はベンチの上でさらさらと何かを書き、夏帆に差し出す。
「ここね、知人がやってるんだ。いい物件しか扱ってないから、かなりおすすめ。騙されたと思って行ってみて! あ、でも今日は休みだから、明日以降にね」
「は、はい……」
「あとさ、ちょっと悪いんだけど、タクシー代千円貸してくれない?」
突拍子もないお願いに、夏帆は思わず声を張り上げた。
「はぁっ?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃん。俺さ、旅から帰ってきたばかりなんだけど、気づいたら携帯と財布がないんだよね~」
にこにこと呑気に言う男を見て、夏帆は目をぱちくりと瞬いた。
(超イケメンなのに、ゆるふわ系のただのバカ?)
心の中でそう呟きながら、言葉を返した。
「だったら歩いて帰ればいいんじゃないですか?」
「もうくたくたで歩けないよ。助けて、お願い!」
両手を合わせ、つぶらな瞳で懇願されると、思わず心が揺れる。
それほど、男は圧倒的なイケメンだった。
(でも、いくらイケメンでも頭がからっぽじゃな……)
そう思うと、少し不憫にも感じた。
自分も会社を辞めて無職になる予定とはいえ、ある程度の貯金もあるし、この男よりはましだと感じてしまう。
だから、つい自分の方が上に立ったような気がした。
仕方なく財布から千円札を取り出し、男に渡す。
「ありがとう! この恩は忘れないよ。必ず返すから、連絡先教えてくれる?」
大袈裟に喜ぶ男を見て、夏帆はしまったと思った。
(やだ……これ、新手のナンパじゃないの?)
慌てて手を振りながら言う。
「だ、大丈夫。返さなくていいから……」
「ダメだよ。ちゃんと返すから」
「本当にいいです! あ、じゃあ私、急ぐので」
ひきつった笑顔を向けると、夏帆は逃げるようにその場を離れた。
男はそんな彼女の後ろ姿を、可笑しそうに笑いながら見送った。
駅へ向かいホームへ行くと、夏帆はようやくほっと息をついた。
(まったく今日はなんなのよ……変なことばかりで最悪)
滑り込んできた電車に乗り、空いた席へ座る。
すると、隣の男性が読んでいた本の一文が目に入った。
“自ら発する言葉はあなたの未来を表しています。マイナスの言葉を吐けばマイナスの未来しか寄ってきません。だから、常にプラスの言葉を唱えるようにしましょう”
夏帆は思わずドキッとした。
(やだ、私ったらマイナスな言葉ばかり……。ホームレスみたいな人だったけど、親切に不動産屋を教えてくれたじゃない。え? ちょっと待って。これ、なんかの詐欺じゃないよね?)
不安になりながら、夏帆は男からもらったメモを開く。
そこには“三木谷エステート”と書かれていた。
さっそく検索してみる。
(あれ? さっきいた公園の近くにあるんだ……。見た感じ小ぎれいで、ちゃんとした不動産屋みたい)
意外に思いながら、ふと気づく。
(もしかして、財布をなくして友人の会社に行ったら休みだった? だからあの人はあそこにいたの?)
そう考えると、妙につじつまが合う気がした。
(ふふっ……イケメンなのに抜けてるんだから。あのビジュアルで、仕事もバリバリできて尊敬できる人だったら、運命の出逢いだったのにな。残念)
そんなことを考えている自分にハッとする。
振られたばかりなのに、もう別の男のことを考えているなんて、我ながら可笑しい。
(私にとって、駿介ってなんだったんだろう?)
急に、一年半の付き合いが無駄だったように思えて来た。
(よしっ! 全部捨てよう。全部捨てて、一からやり直すんだ!)
気づけば、前向きな言葉を胸のうちでつぶやいていた。
失恋しても、自分は大丈夫かもしれない――
そんな風に思えた。
車内アナウンスが降りる駅の名を告げたので、夏帆は元気よく立ち上がる。
そして、扉が開くと、軽やかにホームへ降り立った。
コメント
14件
このゆるふわイケメンさんは、もしかしたら岳大さんとも繋がりがあるのかな…? どこで再会、再登場するのか楽しみです🎶
さりげなくpeak hunt5が出てきましたね 優羽ちゃんの提案の様に街着化にも良いアウトドアブランドが定着したいるようで読者はとても嬉しいです^_^ この男の人 この後はビシッと決めてシゴデキに変身するのでしょうか? 続き楽しみです
うわっ!岳大さん繋がり🙌 益々楽しみ