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遥は唇を押さえたまま、動けなかった。指先に残るのは、確かに日下部の熱。
あの唇の感触。
 心臓が暴れている。
喉の奥が灼けるみたいに熱い。
――違う。こんなの、違う。
 「……やめろよ」
 かすれた声で、遥はようやく吐き出した。
 「……おまえ、そんなこと、すんなよ……」
 言葉が震える。怒りではない。
裏切られたような苦しさでもなく。
ただ、自分の奥底に眠っていた「渇き」が暴かれてしまったことへの恐怖だった。
 「おれ、そんなもん……望んでねぇ……」
 否定するように言いながら、胸の奥では叫んでいた。
――嘘だ。
――ほんとは、欲しかったくせに。
 その自分の声が、何よりも残酷だった。
 日下部は眉を寄せ、言葉を探すように視線を逸らした。
 「……ごめん。抑えられなかった」
 その告白の誠実さが、遥には重く突き刺さった。
 「抑えろよ!」
 遥は叫んだ。
 「……そうやって優しい顔して、全部抱え込んで……おれまで抱き込んで……そんなの……信じられるわけねえだろ!」
 声は震え、涙がにじむ。
否定したいのに。
受け入れたくないのに。
胸のどこかで、どうしようもなく「それでも捨てられたくない」と縋っている自分がいる。
 ――汚い。
――最低だ。
――裏切られるってわかってんのに、まだ望んでる。
 頭の中で、過去の声がよみがえる。
 「騙されたな、遥。おまえなんか利用されてただけだ」
 「友達?笑わせんな。誰がそんなの本気にするかよ」
 「好きだ?おまえ、抱きやすいから言ってやっただけだろ」
 嘲笑。冷たい視線。踏みつける靴音。
それらが、日下部の顔と重なる。
優しさが、次の裏切りに繋がる恐怖として。
 「……無理だ」
 遥は小さく呟いた。
 「おれ……おまえの隣にいたら、壊れる……」
 立ち上がる。
足が震えて、まともに歩けない。
それでも背を向けた。
 「遥!」
 呼び止める声。
それに振り返れば、今にも崩れてしまう気がした。
だから、振り返らない。
 ただ夜の闇に逃げ込む。
息が詰まるほど走って、それでも逃げ切れない。
胸の奥に残る、あのキスの熱。
 「……ああ……もう……やだ……」
 暗闇に、遥の嗚咽が溶けていった。