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夜の街を、遥はあてもなく歩いていた。足は重く、心臓は痛むほど速く打っている。
ときおり、誰かの視線を感じて振り返る。
けれどそこに日下部の姿はなかった。
――追ってくるなよ。
――頼むから、来るな。
そう願いながら。
でも、心のどこかでは「追いかけてほしい」と縋っていた。
「……最低だ」
声に出すと、さらに胸が痛んだ。
「おれ、ほんと……クズだな」
街灯の下で立ち止まる。
唇に触れる。
まだ残っている気がした。
あのキスの感触。
心臓の奥に、火傷のように焼き付いている。
「なんで……」
力なく笑った。
「なんで、あんな……欲しいって……思っちまったんだよ」
否定したい。
望んでないって言い切りたい。
なのに、本当は。
――ほんとは、日下部に触れてほしかった。
――壊されてもいいから、誰かに抱きしめられたかった。
その本音が、汚らわしいもののように思えて、吐き気がした。
「……おれ、愛される資格なんかねぇのに……」
夜風に掻き消されるほどの声で呟いた。
嗚咽が喉を震わせ、遥はその場にしゃがみ込む。
腕で顔を覆い、子どものように泣いた。
――俺が一番いらなかった子どもだろ。
――俺に何の価値がある。
家や学校で繰り返し吐き捨てられた言葉が、頭を埋め尽くす。
優しさなんか信じてはいけない。
信じた瞬間に、裏切られる。
それを知っているのに。
どうして日下部に、少しでも心を預けてしまったのか。
遥は涙を拭いもせず、ただ夜の闇に震えていた。
その頃、日下部はベンチに座ったまま動けずにいた。
遥が逃げていった方向を、ずっと見つめ続けていた。
立ち上がろうとした足は、すぐに重くなって止まった。
――追いかけたい。
――抱きしめて、離さないって言いたい。
その衝動に、身体が震える。
けれど同時に、胸に刺さる感覚もあった。
あのときの遥の目。
怒鳴り声。
震える唇。
「……俺、何やってんだ」
誰にも聞かれない声で呟く。
抑えなきゃいけなかった。
抱きしめる前に、言葉で寄り添わなきゃいけなかった。
なのに。
遥の傷を守るどころか、自分の衝動をぶつけてしまった。
「……壊したのは、俺か」
両手で顔を覆う。
熱が、指先にまで残っている。
遥の震えを伝えた、あの一瞬の熱が。
守りたいと願っていたのに。
結果は逆だ。
遥をまた孤独に追い込んだ。
「俺じゃ……足りねえのか」
吐き出した言葉は、夜に沈んでいった。
力なく笑う。
――違うだろ。
足りないんじゃない。
俺が臆病で、遥の地獄を真正面から引き受けきれていないだけだ。
胸が焼けるように痛む。
あの涙を、どうしたら止められるのか。
自分にできることは、まだあるのか。
日下部は頭を抱えたまま、動けなかった。
夜風が吹き抜ける。
ただそれだけが、二人の間をつなぐ唯一のものだった。