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放課後の空気は、どこか甘ったるくて苦い。昇降口を出たとき、手をつないで笑い合うカップルを見かけて、胸の奥がざらついた。 ――自分には、縁のない景色。
そんな顔をしたまま、この部屋のドアをノックする子は多い。
「……好きな人がいるんだけど」
今日の相談者は、制服の袖を握りしめながら椅子に座った。声がやけに小さい。
「言えない。言ったら終わる気がする」
遥は少しだけ首をかしげた。
「終わる?」
「……だって、もし嫌われたら、もう話せなくなるでしょ」
「なるほど」
少年の横顔は赤く、けれど目はどこか怯えている。
「クラスにさ、いつも優しくしてくれる子がいて。ノート見せてくれたり、声かけてくれたり……。俺、たぶんその子のこと好きなんだと思う」
「思う?」
「うん。好きって言葉、重すぎて……自分で言い切れない」
遥は机に視線を落とした。
――好き。そんな感情、自分には関係ないと思っていた。けれど、人を羨む気持ちや、誰かの隣に立ちたい気持ちなら、確かに知っている。
「俺なんかが言ったら、相手に迷惑だよな」
少年は吐き捨てるように言った。
「友達でいられなくなるくらいなら、このまま隠してたほうがマシだと思う」
沈黙が流れる。遥は、ゆっくり言葉を探した。
「……俺さ、誰かに好かれたことなんてない」
少年が驚いたように顔を上げる。
「だから、告白とか、恋愛とか……正直、わからない。けどさ」
遥は言葉を切り、少し笑った。
「“迷惑かも”って思うのは、相手を大事にしてる証拠じゃない?」
少年は目を瞬かせた。
「ほんとに自分勝手だったら、迷惑なんて考えずに突っ走ってると思う。……でも、“迷惑かも”って悩むってことはさ、相手のこと見てるってことだろ」
少年は下を向き、しばらく黙っていたが、やがて小さくつぶやいた。
「……そう、なのかな」
「うん。俺は、そう思う」
遥は続ける。
「無理に言う必要はないと思う。でも、“好きかもしれない”って気持ちを持ってる時点で、その子にとって君は“誰かのひとり”じゃない。……それだけで、すでに特別なんじゃない?」
少年の唇が震えた。泣くのをこらえているような、でもどこか救われたような顔をしていた。
「……俺、やっぱり好きだって、ちゃんと言える日が来るといいな」
「来るよ」
遥は静かに言った。
「その日まで、隠してる気持ちを武器にすればいい。苦しいけど、好きって、ほんとは強いから」
窓の外では、夕暮れの街に並んで歩く影が伸びていた。
少年は深呼吸をして立ち上がり、少しだけ軽くなった足取りで扉を出ていった。
残された遥は机に肘をつき、視線を落とした。
――“好き”なんて言葉、俺にはまだ遠い。けど、人を想う強さくらいは、きっとわかる。