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チャイムが鳴る前の教室は、普段よりざわついていた。結城が目を光らせているのが見えた瞬間、胃が冷たくなった。いつものことだ。俺の存在だけで、誰かが勝手にスイッチを入れる。
結城はゆっくりと教室の中央に出てきた。背筋を伸ばし、笑っているようで笑っていない顔でこっちを見た。奴が口を開くと、空気が一瞬でそいつのものになる。
「よお、遥。ちょっとこっち来いよ」
みんなが画面を上げ、俺を撮り始める。あの赤い録画マークが視界の端に光るたび、全身の筋肉が凍る。結城は何でもないように喋る。だがその一言一言には毒が仕込まれている。
「誰かがさ、『あの人いい人だった』って言ってたんだよな。ふーん、いい人ねえ。いい人って、ただの見せ物だろ。中身なんてないんだよ、遥、わかるだろ?」
笑いがじわりと広がる。誰かが「あはは」と口にする。手が震える。俺は目を合わせない。返事をすれば、もっと燃料になる。でも黙っていれば「無視」だと茶化される。選択肢なんて最初からなかった。
結城は前に出て、俺の前でゆっくりと身体を回すように歩いた。周りのやつらが寄ってきて、輪ができる。やつらの顔は楽しくて仕方がないように見える。こいつらにとって、俺はただひとつの娯楽だ。
「おい、みんなで遊ぼうぜ。今日は『本当の遥』を晒す日だ。こいつが本当にどれだけ価値のないやつか、みんなで確認しようぜ」
誰かがスマホを掲げ、焦点を俺に合わせる。画面の向こうの俺は、小さく、まるでモノのように見える。
「一つ目――こいつ、使えないんだよ。授業中も、委員の仕事も、全部中途半端。見てるだけでイライラする。何で学校にいるか意味がわかんねえ」
「二つ目――笑い方がキモい。顔が歪んでるの、みんな見てんの? 本当に気持ち悪い」
「三つ目――家でも学校でも相手にされてないくせに、どこでいい人ぶってんだよ。正体バレバレだろ」
罵倒が浴びせられるたび、近くのやつが声を合わせて笑う。笑い声は波のように何度も往復する。誰かが「もっと言え」と煽る。結城の目が、ひどく細くなる。
ああ、奴は本気だ――弟の言葉を気にしてたんだ。俺を笑い物にして、弟の評価を塗りつぶしたいんだ。
「お前、ほんとに人間か? 人間のフリしてるだけのクズだろ」
「そうそう。存在がもう邪魔。存在してるだけで周りが薄気味悪くなるんだよ」
「写真撮っとけ。永久保存しようぜ、『学校のゴミコレクション』ってタイトルで」
誰かが叫ぶと、笑いが拍手に変わった。良いね、と言われるように、罵倒が次々に承認される。俺の言葉は喉の奥で絡まり、出てくるのは低い喉鳴りだけだった。
「言い返すなよ、ぐちゃぐちゃになると面白くねえから」
「無言が一番面白い。だって、自分で自分の土台を知られてるってことだろ?」
結城が近づいてきて囁く。声は低く、刃のように冷たい。
「弟がさ、『いい人だった』なんて言ったのがムカつくんだよ。あいつにバレるのは嫌なんだ。だから今日、みんなで教えてやる。遥は『いい人』じゃねえってことを。理解できるか?」
理解できるかって、どう答えればいい。理解することと同意することは違う。だが周りはもう待ってくれない。誰も助けてはくれない。どれだけ俺が耐え、どれだけ俺が黙っていても、それはただの素材にしかならない。
「おい、次は『どうやって人を騙してるか』を言わせようぜ」
「いいね。自分で暴露させたら生々しくて盛り上がる」
誰かが提案する。結城がうなずき、にやりと笑う。俺の心臓は耳元で打っているのがわかる。どうして、俺の存在がこんなふうに遊び道具になったんだろうか。俺は自分の体がどこで終わるのかもわからないほどに、沈んでいく。
「じゃあ、言ってみろ。お前はどうやって周りを騙してるんだ?」
「それともお前、本気で自分をいい人だと思ってんのか?笑わせんなよ」
みんなが笑い声を抑えてこっちを見ている。録画ボタンの赤い点が、まぶたに焼き付く。俺は言葉を探す。正直に言えば、これ以上言葉を出すことは自分を削るだけだと知っている。でも、言わなきゃ、更に見世物にされる。
(ここで黙ったら、また「無視は卑怯」とか言われる。言えば、もっと燃料になる。どうすりゃいいんだ)
胸が割れそうで、目が熱くなる。言葉が、ひとつ、唇から零れた。
「……俺は……ただ、いつも……」
言葉が震えて、結城がすぐに覆い被さるように割り込む。
「聞こえねえ、もっとデカい声で。みんな、聞きたいんだ!」
笑いが輪になり、俺の内臓を持ち上げてひねる。腹が痙攣して、涙が溢れた。誰かがもっと泣けと煽る。嘲りはエスカレートしていく。言葉ではなく、感情そのものを公衆に晒すことが罰になる。
「いいぞ、もっと崩してやれ。謝らせろ」
「謝れば可哀想扱いで気まずくなるし、謝らなかったらもっと叩ける」
俺は最後の力で首を振り、言葉を飲み込んだ。だが結城は満足そうに鼻で笑い、周囲のやつらの気持ちを代弁する。
「まあ、今日はこれで十分。動画は流す。保存して、みんなで回す。一週間はネタだな」
教室を出るとき、誰かが後ろから言い捨てる。
「お前、学校来る意味あるの? 存在が迷惑なんだけど」
その言葉が、背中の皮膚の下でじわじわと広がっていく。俺は足を引きずるように外へ出た。外の空気は冷たく、喉の奥に残った言葉の味は苦かった。
自覚がある分だけ、痛みは深い。俺は分かっていた。結城は弟の無邪気な言葉が気に入らなかった。だから、弟の「いい人」を塗りつぶすために、俺を徹底的に消費した。クラス全員を巻き込んで。
歩きながら、俺は自分の中の小さな火を探した。壊されるためだけの体には、まだしたくない。だが今は、その火は小さく、口の中に転がる灰みたいに冷たい。今日はただ、壊された。明日も壊されるかもしれない。だが、少しだけ、次は違うやり方で立て直したいという、ぼんやりした意志が残っているのも確かだ。