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「……親に感謝しろって、どこ行っても言われるんです」
高校二年の男子生徒。俯いたまま、手を強く握っていた。
「育ててくれたことに、感謝しなきゃいけない。そんなの、わかってるつもりでした。でも、俺は――殴られて育ちました。弟が泣くと、『お前が泣かせたんだろ』って言われて、俺も泣くと、『うるさい』って……。だから、いま感謝なんて言われると、胸が潰れそうで」
彼の声は震えていた。けれど、涙はもう出なかった。泣きすぎたんだろう。
日下部は、椅子にもたれたまま、じっと彼を見ていた。どこかに「正しさ」を求めようとするその姿に、かつての自分を重ねていたのかもしれない。
「でも、自分が冷たいだけなんだって思うと……。たとえ殴られても、俺なんかよりもっと辛い人はいっぱいいる。もっと酷い親も、いる。甘えなんじゃないかって」
その言葉に、日下部は首を振った。言葉は静かに、しかし明確だった。
「比べるな。お前の痛みは、お前のもんだ。……殴られて育って、なお親を想う奴を、俺は否定しねぇ。でも、それができないお前も、ちゃんと正しい」
男子生徒が目を見開く。
「感謝は義務じゃねえ。無理して口にするもんでもねえ。お前が『ありがとう』を言える日が来たら、そんとき言えばいい。来なかったら――それでも、何も間違っちゃいねぇ」
彼は、はじめて少しだけ泣いた。声を殺して、ぼろぼろと。
そして、ようやく自分の足で立って歩き出すように、小さく言った。
「……ありがとう、ございます」
それは誰に向けた言葉だったのか、自分でもわからなかった。ただ、その場には、誰かがいてくれた。