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「坂口が自分から『この曲を吹きたい』なんて言うの、初めてだな。学生の頃は一切言わなかったのに。それで、君が吹きたい曲って?」
師匠から問われた志絵は、口にするのをためらい、バッハのスコアに視線を辿らせた。
「……ゆずの『栄光の架橋』です」
腹を括った彼女は、静かに口を開くと、大田が怪訝な表情を覗かせた。
「坂口。コンクールにポップスを選曲する事は、採点が伸びにくいっていうのを分かってて言ってる?」
「もちろん、分かってますよ」
恩師から渡されたチラシのコンクールは、楽曲のジャンルは特に指定されていないけど、クラシックで出場する奏者が圧倒的に多い。
そんな中でポップスを吹きたい、なんて言われたら、大田からすればいい顔をしないのは当然だろう。
下手をすれば、指導者としての沽券に関わってくるかもしれないのだ。
けれど志絵は、コンクールにエントリーするなら、採点や結果よりも楽器を奏でる楽しさ、音で自身を表現する楽しさ、舞台に立てる喜びを取り戻したい。
もっと言えば、栄光の架橋を吹く事で、自分の中に蔓延っている十二年前の記憶を乗り越えたい気持ちが強かった。
そう思えるようになったのは、レッスン前、イベントの仕事で司会をした際、高西賢へのインタビューで『マウンド上に向かう時、栄光の架橋が流れてくれたら嬉しい』と言っていた事も影響しているかもしれない。
彼も夏の甲子園予選決勝でサヨナラ負けを食らい、試練を乗り越えてプロ野球選手になり、戦力外通告を受けてもなお、新天地で新たな一歩を踏み出そうとしているのだから。
「コンクールで点数や結果を出す事も、もちろん大事です。ですが、それよりも私は……自分の好きな楽曲でコンクールに臨み、過去を飛び越えたいと思ってます」
師匠が無言で腕を組みつつ、渋い表情で志絵に眼差しを突くと、ようやく表情を緩めた。
「…………分かった。舞台に上がるブランクもあるし、坂口の中に強い思いがあって出場を決めたのなら、自分の吹きたい曲でコンクールに参加した方がいいのかもしれないな」
「先生……ありがとうございますっ」
自分の思いを汲み取ってくれただろう師匠に、志絵は深々と頭を下げた。
レッスンを終えた志絵は、自宅に戻らず後楽園駅に寄り、丸の内線に乗り込んだ。
善は急げ、ではないけれど、楽曲を決めたからには、すぐにスコアを手に入れたいし、早めに練習を始めたい。
それに、栄光の架橋は、ピアノの伴奏が必要である。
志絵は、メッセージアプリ立ち上げると、『たらもちゃん』こと笹岡美紅にイベント出演のお礼と、コンクールに出場する事を伝え、ピアノ伴奏の依頼をした。
再び職場でもある海野楽器に足を運び、志絵は一階の店舗でスコアを探す。
コンクールは、恩師の大田と相談してアルトサックスで出場すると決め、彼女は多くの出版社から発売されているバッハの楽譜を見比べつつ、ようやく購入。
栄光の架橋のスコアは、伴奏CDが付属しているものを選んだ。
(さっそく家に帰って譜読みしようっと!)
志絵は、すぐさま銀座駅に足を向け、自宅へと急いだ。
コメント
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読了しました!志絵が自分の言葉で「栄光の架橋を吹きたい」って伝えたシーン、胸が熱くなりましたね。コンクールで結果より楽しさを取り戻したい、過去を乗り越えたいっていう決意、すごく響きました。師匠の「分かった」の一言にもホッとしました。美紅ちゃんに伴奏をお願いするところも含めて、また新しい一歩が始まってわくわくします!🌸
管野アリオ
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桃下結衣
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#ロマンスファンタジー
Jasmine
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