テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
リコが消えてから、10年の月日が流れた。
ハルは今、高層ビルのスタジオで、映画のメインテーマを書き上げる売れっ子作曲家になっていた。世間は彼を「時代の寵児」と呼ぶ。けれど、ハルのデスクの奥には、10年間一度も開かれることのなかったフォルダがあった。 タイトルは『春の歌』。あの日、リコに渡せなかった、そして自分でも完成させられなかった未完成の旋律だ。
「……何かが足りないんだ。ずっと」
ハルは都会の夜景を見下ろしながら、かつて音楽室で録音した「ポテトチップスを噛む音」を再生する。それは今の洗練された機材で聴くとあまりにノイズだらけで、けれど、どんな高級なシンセサイザーよりもハルの心を震わせた。
そんなある日、ハルはSNSのタイムラインで、一風変わった動画を目にする。 『着ぐるみで絶品おにぎりを食うだけの動画』 再生数はわずかだが、コメント欄には「なぜか泣ける」「食べる音が美味しそうすぎる」という言葉が並んでいた。
画面の中には、薄汚れたウサギの着ぐるみを着た人物が、公園のベンチで鮭おにぎりを頬張っている。顔は見えない。だが、おにぎりを齧る「サクッ」という絶妙なリズム、そして食べ終えた後に漏れた、少し掠れた「ぷはぁ!」という吐息。
ハルは椅子を蹴って立ち上がった。 「……リコ。お前、まだそんなことしてんのかよ」
ハルはポータブルレコーダーと、10年前のあのスコアを掴み、動画の撮影場所へと走り出した。
たどり着いたのは、桜の蕾が膨らみ始めた河川敷。 そこには、着ぐるみの頭を脱ぎ、スーツ姿でぼんやりと川を眺める一人の女性がいた。大人の女性になったリコは、どこか疲れ、けれどあの頃と同じ、何かを企んでいるような瞳をしていた。
「……音程、10年前から全然進歩してないな」
ハルの声に、リコが弾かれたように振り返る。 「……ハル? 嘘、なんで。あんた、今じゃ超有名人じゃん」 「お前の『食べる音』がないと、この曲のサビが埋まらないんだ。……仕事だ、手伝え」
ハルはレコーダーを起動し、10年間止まっていたあのメロディを流した。 リコは一瞬、呆然とハルを見つめていたが、やがて噴き出すように笑った。彼女はカバンから、食べかけのコンビニチョコを取り出す。
「ギャラ、高いよ? ……ハル」
――パキッ。
チョコを噛み砕く音。それはハルの作った重厚なオーケストレーションの真ん中に、パズルの最後のピースのようにはまった。 リコが歌い出す。10年分の後悔も、孤独も、全部飲み込んで、今の自分を肯定するような力強い歌声。
ハルは鍵盤を叩くように、リコの背中に手を回し、今度こそ言葉を口にした。 「リコ。……大好きだ。あの時も、今も、これからも」
リコの歌声が一瞬震え、そして最高の笑顔とともにさらに大きく響き渡る。 春の風が、二人の周りを吹き抜けていく。 コスプレを脱ぎ捨て、大人という「仮面」さえも脱ぎ捨てた二人の、本当の『春の歌』が、ようやく世界に向かって鳴り響いた。
(完)だと思ったら大間違え(*´σー`)エヘヘ!
54