真白は目覚めた瞬間、胸が重く沈むのを感じた。
夜明け前の薄闇の中、部屋の壁も家具も現実なのに、どこか浮遊しているような感覚。
夢の庭――金色の光に包まれ、白い花びらが舞うあの場所――の残像が胸に残り、現実の空気に溶け込もうとしていた。
机の上には、アレクシスが置いていった白い花がまだあった。
一晩経っても瑞々しく、まるで生きているかのように光を反射している。
だが、その花の輪郭も、昨日よりわずかに滲んで見えた。
夢の庭が、少しずつ形を失っていくような――そんな予感が胸を締めつける。
外では雨が降り、窓ガラスに淡く光が映る。
真白は無意識に指先で花びらに触れる。
触れた瞬間、胸にざわりとした痛みが走った。
昨日の痛みとは違う。魂の奥で、何かが崩れていくような感覚。
そのとき――
「真白」
低く呼ばれた声に振り向く。
窓の外に、アレクシスが立っている。
金色の髪が雨に濡れ、柔らかく光を反射していた。
だがその姿も、昨日よりわずかに輪郭が薄く、消えかけているように見えた。
「……アレクシス?」
声は震える。胸がざわつき、息が詰まる。
「もうすぐ……戻らなければならない」
アレクシスの瞳はどこか悲しげで、しかし真白を真っ直ぐに見つめている。
「この世界に留まることはできない」
胸の奥で、あの痛みの理由がはっきりとわかった。
夢の庭も、現実の花も、そしてアレクシス自身も――すべてが、ゆっくり溶けていく。
「いや……行かないで……」
真白は立ち上がり、両手を伸ばす。
だが指先に届くのは、わずかに残った温もりだけ。
雨音が強くなり、窓ガラスを叩く。
現実の街も、夢の庭も、光の粒も――境界は曖昧になり、真白の視界の端で溶けていく。
心の奥で、遠くの記憶が呼び覚まされる。
白い霧の中で、散る花びら。光に包まれた庭。
「また会おう」
――誰の声かもわからない、でも確かに聞こえた言葉。
アレクシスはゆっくり手を伸ばし、真白の肩に触れる。
触れた瞬間、胸に鋭い痛みが走る――だがその痛みは、失われるものを確かめるための痛み。
「痛い……でも……」
真白は息を詰める。涙が自然と頬を伝い、胸の奥が締め付けられる。
「大丈夫だ……すぐにまた会える」
アレクシスは微笑むが、その笑顔には消えゆく影が映っていた。
「魂が覚えている限り、俺たちはまた出会う。だから――君も、覚えていてほしい」
現実の空気と夢の残像が混ざり合う中、真白はただ頷いた。
視界の端で、アレクシスの輪郭が薄れていく。
まるで水に溶ける光の粒のように、少しずつ消えていく。
「……行かないで……」
それでも声にならず、胸の奥に沈み込む言葉。
魂が震え、胸が裂けるような痛みが走る。
しかし同時に、心の奥で微かに希望の光が揺れていた。
「また、必ず……会える」
――その約束を、真白の魂は知っている。
雨の匂いが、街に残る。
窓の外の光が揺れ、現実と幻想の境界が揺れる。
真白は膝を抱えて座り、滲む世界の中で一人、胸の奥の約束を握りしめた。
消えかけた幻影でも、確かにここにあったことを――魂が覚えていることを、信じながら。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!