テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
出勤してすぐ、フロアの端で女の子たちが固まっていた。営業前の、あの中途半端な時間。
「昨日さ、また行っちゃった」
声の主は、最近ずっと顔色が悪い子だった。目の下に、ファンデじゃ隠れない影。
「担当、昨日も出勤してた?」
別の子が聞く。
「してた。優しかった」
その“優しかった”の言い方が、客に向ける声と同じで、少しだけ引っかかる。
ホストの話だと、誰もが分かっている。指名よりも太くて、延長よりも長い沼。
「いくら使ったの?」
「数えないことにしてる」
笑ってるけど、笑えてない。
「返ってくると思ってる?」
誰かが冗談っぽく言うと、空気が一瞬止まる。
「……分かんない。でも、あそこに行くと安心する」
安心。夜の仕事をしてる女が言うと、重たい言葉。
ドレスに着替えながら、別の子が独り言みたいに言った。
「私、計算できなくてさ」
伝票の話かと思ったら、違った。
「お金とか、時間とか。よく分かんなくなる」
笑いながら言うけど、黒服が少しだけ目を配っている。
その子は、悪い子じゃない。遅刻もしないし、言われたこともちゃんとやる。ただ、境界が曖昧なまま、ここに立っている感じがする。
「大丈夫だよ」
誰かがそう言う。でも、それが何に対してなのかは曖昧。
私は鏡の前でピアスをつけながら、自分の顔を見る。疲れてるけど、まだ線は切れていない。
席に出ると、いつもの景色。笑って、飲んで、距離を測る。
さっきホストの話をしていた子は、フロアで一番大きな声で笑っている。知的境界にいる子は、同じ質問を三回して、客に笑われている。
誰も、間違ったことはしていない。ただ、それぞれのギリギリに立っているだけ。
休憩中、トイレで一人になる。スマホを見るけど、特に開きたい通知はない。
私は、まだ戻れている。仕事と、自分の感情の間に、一応の線がある。
でも、それがいつまで保つかは分からない。
ホストにはまる子も、境界に立つ子も、最初からそうだったわけじゃない。気づいたら、ここに来ていた。
それは、私も同じだ。
営業終了後、外の空気を吸う。今日も何事もなかった。だからこそ、少しだけ怖い。
何も起きないまま、少しずつ削れていく。それが、この仕事の日常だと、改めて思った。