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午後の部屋には、鈍い夏の光が漂っていた。
レースのカーテンがゆっくりと揺れ、窓際に置かれた小さな扇風機が一定のリズムで首を振っている。
風は弱く、冷たいというより「動いている」だけのような心許なさだった。
けれど、それでもないよりはましで。
アレクシスは机の上の書類を押さえながら、汗ばんだ額をぬぐった。
「……設定温度、上げすぎたかな」
「エアコン、消したの俺だよ」
ソファに寝転んでいる真白が、目を閉じたまま答える。
「電気代、今月やばそうって言ってたでしょ?」
「覚えてたんだ」
「うん。俺のじゃないけど」
扇風機が“カタ、カタ”と小さな音を立てる。
ふたりの間に流れる風は、冷たさよりも、むしろ温度を運んでくるようだった。
アレクシスは椅子を引いて、風の正面に座り直した。
途端に、真白の前髪がふわりと動く。
そのたびに、彼の白い頬に影が落ち、またすぐに陽光に溶けていく。
「ひとつしかない扇風機、どう分けるか問題」
「……交代制?」
「それだと、どっちかが溶ける」
「じゃあ、真ん中に置けばいい」
アレクシスがそう言って少しだけ前に寄せると、二人の足先がかすかに触れた。
それだけで、真白のまつげがわずかに揺れる。
「……近い」
「風、共有中だから」
アレクシスは笑いながら、首にかけたタオルで額を拭った。
真白は薄く目を開け、じっとその動作を見ていた。
陽の光の中で、彼の髪が透けて見える。
夏の午後の、静かな色。
「ねぇ、アレク」
「ん?」
「この部屋、ずっと夏みたいだね」
「そうか?」
「うん。……冷房つけても、たぶん同じ空気」
「それは、俺のせい?」
「どうだろ。……たぶん、“ふたりのせい”」
扇風機の風が、またふたりの間を通り抜けた。
机の上の紙が一枚だけ舞い上がり、床に落ちる。
アレクシスはそれを拾おうと腰を上げかけたが、真白が先に手を伸ばした。
指先が一瞬、触れ合う。
その一瞬を、風がそっと包み込んだ。
夏の音も、蝉の声も、遠ざかっていくように感じた。
「……このまま、止まらないでいいのに」
小さく漏れた真白の声は、扇風機の回転音にかき消された。
アレクシスは何も言わず、ただその風の向きを“固定”に変えた。
ふたり分の風が、ひとつの方向から流れていく。
窓の外では、白い雲がゆっくり形を変えていた。