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夕方の空気が、昼とは別物になっていた。
窓の外はまだ明るいのに、冷え方だけが夜の準備をしている。
アレクシスはキッチンで、鍋を火にかけていた。
中身はシンプルなスープ。切った野菜と、少しの塩。
凝ったことをする気力はないが、何もしない気でもない、そんな日の選択。
リビングでは真白が床に座り、カレンダーを眺めている。
特に用事を書き込むわけでもなく、ただめくって、戻して、また眺める。
「もうすぐ、あれだね」
「どれ?」
「年末の空気」
アレクシスは、鍋の様子を見ながら小さく笑った。
「ずいぶん曖昧だね」
「でも、分かるでしょ」
分かる。
街も、人も、少しだけ急ぎ始めている。
理由はないけれど、立ち止まりづらくなる時期。
「今日は外、混んでた?」
「うん。なんかみんな、余裕なさそうだった」
真白はカレンダーから視線を外し、ラグに頬をつける。
床は冷たいが、不快ではない。
「だから、帰ってきた瞬間、ほっとした」
「それはよかった」
鍋から、ふっと湯気が立ち上る。
その瞬間、部屋の空気が変わった気がした。
「できそう」
アレクシスが言うと、真白はすぐに起き上がった。
「ほんと?」
「うん。ちょうどいい」
マグカップを並べる音が、静かな部屋によく響く。
湯気が立ち上がると、真白は自然と両手でカップを包んだ。
「……冬って、湯気が先に教えてくれるよね」
「なにを?」
「ちゃんと休んでいいって」
アレクシスは一瞬考えてから、うなずいた。
「確かに。言葉より分かりやすい」
ふたりでスープを飲む。
味は濃くない。でも、それがいい。
テレビはつけない。
外の音も、今日はあまり聞こえない。
「さっきさ」
真白がぽつりと言う。
「ちょっとだけ、今年のこと考えちゃった」
「早いね」
「うん。でも、勝手に出てくる」
アレクシスは何も言わず、続きを待つ。
「悪くなかったなって」
真白はそう言って、すぐに付け足した。
「全部じゃないけど」
「全部よかった年なんて、あんまりないよ」
「だよね」
それだけで、少し安心したような顔になる。
スープを飲み終えたあと、ふたりはソファに並んで座った。
暖房は控えめ。
代わりに、距離が近い。
「寒くない?」
「大丈夫。今は」
真白の言い方は、少し含みがあった。
“今は”という言葉に、時間が混じっている。
アレクシスはブランケットを持ってきて、ふたり分かける。
自然な動作。説明はいらない。
「こういう日があるとさ」
真白が小さな声で言う。
「また明日も頑張らなくていい気がする」
「それは、いいこと?」
「うん。すごく」
外では、誰かが足早に通り過ぎていく。
でも、この部屋の時間は、少し遅い。
湯気はもう消えた。
それでも、残った温度が確かにある。
アレクシスは、そのことを確認するみたいに、
静かに息を吐いた。
今は、それで十分だった。