朝の空気に、ほんの少しだけ冬の匂いが混じっていた。
吐く息が白い。
ベランダの植物の葉にも、うっすらと夜露が残っている。
真白は両手でマグカップを抱え、まだ温かい湯気を頬に感じていた。
キッチンからは、アレクシスが食器を片付ける小さな音が聞こえてくる。
「アレク、牛乳、あと少しだよ」
「うん。今日の帰りに買っておこうか」
「俺も一緒に行く」
そんな他愛ないやり取りが、なぜか心地よい。
窓の外では、木々の葉が少しずつ落ちて、空が広くなっていた。
アレクシスがテーブルに戻ってくる。
白いマグをそっと置く。
香ばしい香りが部屋に広がり、真白は鼻先をくすぐられて小さく笑った。
「この匂い、冬が近い感じするね」
「そう?」
「うん。なんか、“コーヒーってあったかい飲み物だったんだな”って思う」
アレクシスはその言葉に、少しだけ笑みを浮かべた。
真白の言葉は、たまに詩みたいに聞こえる。
考えていることがまっすぐに出るからだろう。
「寒くなったら、手が冷たくなるでしょ。
マグを持ってるだけで、少し落ち着く」
「……それはわかる」
アレクシスは自分のマグを持ち上げて、湯気の向こうから真白を見つめた。
その視線が柔らかくて、真白は少しだけ目を逸らした。
「ねえ、アレク」
「うん?」
「アレクって、いつも落ち着いてるよね」
「そうかな」
「うん。俺、たぶん一緒にいると、時間がゆっくりになる」
マグの表面を指でなぞりながら、真白は小さくつぶやいた。
アレクシスは少しだけ視線を落とし、
「それは、君のほうかも」
と静かに言った。
「俺?」
「真白がいると、空気がやわらかくなる。
寒い日でも、なんとなく、あたたかい」
その言葉に、真白の胸の奥がじんわりと熱くなった。
マグのぬくもりと、アレクシスの声の温度が重なる。
窓の外では、風が葉をひとひら、舞い上げた。
静かな時間の中で、ふたりの息だけが微かに重なっている。
「……アレク」
「うん?」
「コーヒー、少し冷めてきた」
「淹れ直そうか」
「ううん。このままでいい。
なんか、“このぬるさ”がちょうどいい気がする」
アレクシスは目を細め、笑った。
真白もつられて笑う。
マグの縁を指でなぞりながら、ゆっくりと口に含む。
冷めかけたコーヒーは、ほんの少し苦くて、それでも確かに温かかった。
その温度が、心に残る。
――季節が変わっても、この朝だけは変わらず続いてほしい。
そんな願いが、ふたりの間に、音もなく漂っていた。
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