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雨は、朝から降り続いていた。窓の外で、音もなく濡れながら揺れている体育館の旗が、ずっと見ていられるくらいに遠く思えた。
放課後の教室には、誰もいない。遥はそこでひとり、机に突っ伏していた。
日下部に言えなかった言葉が、喉の奥に溜まって腐っていく。
「好き」とか「助けて」とか、そんな軟弱な言葉ではなかった。
もっと荒々しく、もっと哀れで、もっと誰にも言えない言葉。
——俺のこと、要らないなら殺してほしいって思ってた。
けど、日下部は言わなかった。
「おまえが傷ついてるのは、俺のせいだ」なんて、言わなかった。
それが優しさなのは分かってる。
でも、優しさは遥にとって拷問だった。
「好きだよ」なんて言ってくれるくせに、抱いてはくれなかった。
触れてくれなかった。
——じゃあ、俺を壊せるやつのところに行けばいい。
意識よりも先に、脚が動いた。
蓮司の部屋の匂いは、煙草とシャンプーの混ざった匂いだった。
遥は玄関の前に立って、インターホンも押さずに数分迷って、それからノックした。
「……ああ、来ると思ってた」
蓮司はいつも通りだった。何も驚かず、何も責めなかった。
その態度が、遥の喉に刺さった。
「沙耶香、いまいない」
蓮司はそれだけ言って、ソファに座ったまま、遥を見上げた。
見下すでも、誘うでもなく。
ただ「来たな」と、確認するように。
「……抱いて」
言葉は震えていた。
でも、身体は冷めていた。泣きもしない。
心は既に遠く、どこにもいなかった。
蓮司は、立ち上がりもせずに言った。
「おまえ、それで何になるって思ってんの」
「分かんねぇよ、もう」
「日下部に嫌われたいのか?」
遥は目を伏せた。
それが、本心のひとつであることを否定できなかった。
「どうでもいい。俺はおまえのこと、好きでも嫌いでもないし」
それが蓮司の答えだった。
でも、そのあとに続けた言葉が、遥を崩した。
「ただ、沙耶香はおまえが俺と寝てること、ずっと知ってるよ。
あいつ、それでも俺のこと手放さなかった」
遥の心の中で何かが崩れていく音がした。
「おまえのやってることなんて、全部バレてるし、誰のものにもなれない。
だからこそ、おまえが壊れてくのを、みんな見て見ぬふりしてんだよ」
「……抱けよ」
遥はその言葉で、蓮司の口を塞いだ。
蓮司の手が、首に添えられた。
それは優しくも、冷たくもなかった。
ただ、機械的に衣服が脱がされていく。
誰のためでもなく、自分のためでもなく。
「これで日下部がどう出るか、楽しみだな」
蓮司は吐き捨てるように言った。
遥はそれに、何も返さなかった。
返せる言葉なんて、もう持っていなかった。
次の朝、遥は日下部の顔を見られなかった。
罪悪感ではない。
もっと原始的な恐怖だった。
「自分がいなくなっても、誰も何も変わらない」という確信に、身体が凍りついていた。