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夜の静けさは、冬になると少し厚みを増す。
リビングの照明を落として、スタンドライトだけを点けているせいか、
部屋の輪郭が柔らかくぼやけていた。
真白はテーブルで作業していたはずだったが、いつの間にか椅子に背を預けてぼんやりと窓を眺めていた。
外は冷え切っていて、ガラスがほんのり曇っている。
「疲れた?」
背後からアレクシスの声が落ちる。
真白は振り向くより先に、小さくうなずいた。
「なんか……頭だけ冬眠してる感じ」
「冬はだいたいそんなものだよ」
アレクシスはマグカップを二つ持ってきて、テーブルに置いた。
白い湯気がふわりと上がる。
生姜とはちみつの香りが、灯りの色に合う。
真白はカップに口をつける前に、両手で抱え込んだ。
手の温度がゆっくり戻っていく。
「あったかい……これ好き……」
「それ、真白が去年『冬の味』って言ってたやつ」
「言ったっけ?」
「言ったよ。忘れてた?」
「……うん」
少しだけ気まずそうに目をそらす真白。
そんな表情も、アレクシスには見慣れた冬の風景だ。
「忘れててもいいよ。また言ってくれたら覚えるから」
「……アレクって、そういうとこあるよね」
「どこ?」
「ちゃんと聞いてくれるところ」
照明に照らされて、真白の手がわずかに震えた。
寒さのせいか、話のせいかは分からない。
アレクシスはテーブル越しにそっと指を伸ばし、真白の手の甲に触れた。
握るほど強くはない。ただ「ここにいる」と伝えるくらいの力。
真白は一瞬だけ息を吸い、目を伏せる。
その反応が、冬の夜の空気にすっと溶けた。
「……あのさ」
「ん?」
「冬って、ちょっと怖いんだよね」
唐突な言葉だった。
でも、アレクシスは驚かない。
「どうして?」
「静かすぎると、自分の考えてることが全部聞こえちゃうから」
真白の声は、いつもより少しだけ幼かった。
冬の夜にだけ戻る、頼りなさのある声。
「嫌なこと、考えちゃう?」
真白は頷いた。
「でも、ここにいると大丈夫……っていうか、あんまり考えなくて済む」
カップの縁を指でなぞる仕草は、落ち着こうとしている人のそれだった。
アレクシスは、そっと席を立つ。
驚いたように目を上げた真白に、
「ちょっと」とだけ短く言い、すぐ戻ってきた。
手には、ぶ厚めのブランケット。
「ほら」
真白の肩にかけると、自然と距離が近くなる。
近さが緊張を生むより、安心を増やしていく。
「……ありがとう」
「怖いなら、怖くなくなるまで一緒にいるよ」
真白は俯き、ブランケットをぎゅっと掴んだ。
「……冬って、優しくされると泣きそうになる季節じゃない?」
「なにそれ」
「分かるでしょ」
アレクシスは笑って首を振る。
「分かるよ。だから俺も気をつけてる」
「気をつけてるの?」
「優しくしすぎないように」
その言葉を聞いた瞬間、真白はなぜかぎゅっと唇を結んだ。
泣きそうになるのを誤魔化すみたいに。
「……していいのに」
「え?」
「優しくしていいのに。気をつけなくて」
アレクシスは少しだけ目を細めた。
冬の夜に似合う、静かで遠くまで届くような優しい表情。
「じゃあ、するね」
「……うん」
アレクシスは再び真白の手に触れた。
今度は手のひらごと包むように。
外は夜で、冷たくて、静かで。
でも、部屋の中にはゆっくり温度が満ちていった。
真白の肩がブランケットの重みで落ち着き、
アレクシスの手の温度がふたりの間に小さく灯る。
冬の夜は長くて、少し怖い。
けれど、こうして過ぎる夜なら、悪くない。
ふたりは湯気の立つカップを手に、
照明の柔らかい光の中で、黙ったまま過ごしていた。
黙っていても、満ちていく時間だった。